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うちのクマ知りませんか

お久しぶりの更新です。
ヒトとして精神の成熟途中にあるクマが、エディプス・コンプレックスに悩みます。なんて言うと小難しいですが、要はヨースケとセンセイがイチャイチャしすぎて寂しくなり、疎外感を感じたクマが本当にここにいていいのか悩む話です。ヨースケがお母さん、センセイがお父さん。みんなでしあわせがいちばんです!



 

---------------------------------------------------------------------

夜も更けてからようやく帰宅した陽介を玄関先でつかまえ、クマは低い声で言った。
「――ヨースケ。最近クマをナイガシロにしてないクマ?」
その眼は完璧に座っている。思い当たる節のある陽介は「そんなことねーよ」と言いつつも、クマの視線から逃れるように階段を上る。まるで雛鳥のようにその後を追いながらクマは続ける。
「今日もセンセイの所に行ってたクマね。ヨースケばっかりセンセイとナナチャンと遊んでずるい!クマも遊びたい!」
「遊んでるじゃなくて勉強してたんだよ。この間まではテスト勉強で、今日はテストの結果があんまりよくなかったらアイツに教えてもらってたの」
「でもこの間センセイが来た時も、ベンキョウって言ってクマを部屋から追い出して全然出てこなかったクマ!」
「仕方ねぇだろ、お前ウルサイからいたら勉強になんないっつーの」
「ヨースケ、最近センセイとばっかり一緒にいる!クマだって遊んで欲しいのに!!」
一際大きい声で叫ばれ、陽介は言葉に詰まった。空色の大きな瞳には責める色があり、後ろめたいことのある陽介は反論できない。
勉強は口実だ。全くしていない訳ではないが、実際のところは恋人である孝介との逢瀬であり、クマがいては色々と不都合がある。クマはまだ生まれたばかりの赤ん坊のようなものであり、妙に達観している部分もあるが、外見よりも精神の成熟が足りない。だから察しろという方が無理だし、また、こちら側の世界には頼る者は自分達しかいないことも重々承知だ。遊んで欲しいのも、構って欲しいのも分かるし、できる限り付き合ってやりたいとは思っている。けれども、探索やテストで思うように二人きりの時間がなかなか取れなかったため、悪いとは思いつつも陽介も孝介も互いを求めあうことを優先してしまった。二人の関係までは流石に気付いていないだろうが、陽介はクマの鼻の良さに内心冷汗をかいた。
何も言わない陽介に痺れを切らしたのか、クマはわなわなと肩を震わせる。
「…ヨースケなんか、ヨースケなんか……だいきっらいクマ!!!」
クマはくるり、と踵を返すと、そのまま階段を駆け下り外へと飛び出して行った。
「おい、クマ!待てッ」
慌てて陽介は後を追ったが、既にプラチナブロンドは闇に溶け、影も形も見えなくなっていた。




**********





「――だから!ヨースケはクマのありがたさが全然分かってないクマよ!クマのおかげでどれだけ…」
「あーハイハイ。分かったからちっとは落ち着けや」
完二ははぁ、と大きな溜息を吐いた。夕食を食べ終わった後、ジュースが飲みたくなり小西酒店前の自動販売機まで行こうと家を出た途端、ジュネス方面から走ってきたクマに見つかり、押し入るようにして部屋に上がり込まれて現在に至る。
(ったく、めんどくせーことになっちまった)
クマは元々テンションが高いが、ここまで喋り続けることは珍しい。人形のような顔を見るからに不機嫌そうに歪め、形の良い唇からぽんぽんと飛び出す陽介に対する罵詈雑言から、喧嘩して飛び出してきたのは容易に想像できる。しかも彼は今晩ここに泊まるつもりらしい。最初は直球に、次は迂遠に花村家へ帰るように言ってみたが、クマは頑なにそれを拒んだ。頑として首を縦に振ろうとしないその姿は、意地を張っている幼子の姿そのもので完二は苦笑する。
「おい、クマ公。花村センパイは確かにちょっとウゼーしおせっかいだけど、仮にもテメーの世話になってる人だろうが。何がそんなに気に食わねぇんだよ」
「ム!カンジ!ヨースケのことウザイって言っちゃダメクマ!!」
訴えるクマの表情は真摯なものだった。先程まで罵っていた相手を弁護するように聞こえ、完二は首を傾げる。
「はぁ?テメェだってさっきから散々悪口行ってたじゃねーか」
「クマはいいの!っていうか、ウザイだけはダメクマ!それだけはヨースケに言っちゃダメ!!」
事情はよく分からないが、「うざい」という単語は陽介にとって禁句なのだろう。確かにクマはその言葉だけは口にしていなかった。勢いに押されつつ完二が頷くと、クマは満足そうに笑った。
(コイツ、なんだかんだ言っても、花村センパイのこと好きなんだよな)
また陽介について文句を言い始めたクマの話を適当に流しつつ、完二は思った。面と向って言うことはできないが、陽介のことは孝介とはまた違った意味で尊敬している。孝介は寛容で、彼の懐はとてつもなく広いが、彼は内側に入れたものには厳しい一面もあり突き離す強さも持っている。だが陽介は内側に入れたものはどこまでも許容してしまう。甘いと言えばそれまでだが、傷付きながらも相手を受け止めようとするその姿勢は、完二が持ちえない強さだった。ただし孝介とは違い、お節介で一言多いというマイナス面も目立つが。
クマのことも、何だかんだ言いながらきちんと面倒を見ているのを知っている。学校に通い、事件を追い、アルバイトをしながらこちらの世界の常識のないクマの面倒を見るのは大変だろう。けれども陽介は決してクマの存在を否定しない。1つしか違わないのに、自分より背も小さく腕も腰も首も細いのに、陽介がひどく大人に思えた。
「なぁ。月森センパイに相談してみればいいんじゃねーか?」
クマの話は要領を得ない部分が多く、どうして自分が憤っているのかを自分でも理解できていないように感じられた。ならば自分がそうだったように、孝介に話を聞いてもらうことで何かに気付くかもしれない。孝介が大好きなクマは、いつもなら一も二もなく頷くはずだが、何故か今日に限って「ダメ!」と首を横に振った。
「んだよ。まあいいけどさ。つかそろそろ寝るぞ」
母親が用意してくれた客用布団を適当に広げていると、完二の携帯電話が鳴った。見れば渦中の人からメールが入っている。

From:花村センパイ
件名:クマが家出した
本文:見つけたら連絡頼む。捕まえといてくれ

クマは喋り疲れて眠くなったのか、貸してやった着替えに包まり既にうとうとし始めている。完二は電気を消してそっと部屋を出ると、廊下の隅で電話帳から陽介を呼び出し、コールボタンを押した。すぐに受話器の向こうから彼の声が聞こえてくる。
『――もしもし!』
「あー、花村センパイ。クマ公、いまウチにいますよ」
『…そっか。なら安心だな。面倒かけてホント悪ィんだけど、一晩預かってくんねーか?アイツ、明日は朝からシフト入ってるから、お前が学校行く時に放り出してくれればいいから』
陽介の声には疲れが滲んでおり、心なしか息が荒い。きっと心配して探し回ったのだろう。皮肉のひとつでも言ってやろうと思っていた完二は、それに気付いて代わりの言葉を言う。
「いいっスよ。いっつも花村センパイにばっかクマの面倒見させてますし。明日ガッコでちゃんと事情説明してくださいや」
『ん。ありがとな。じゃ、おやすみ』
通話を終え、部屋に戻ると、クマはすっかり夢の世界の住人となっていた。天使のような寝顔にしばし見とれていると、彼の唇が小さく動く。
「……………センセイ、ヨースケ、取っちゃ、イヤクマ……」
完二は聞かなかったことにして、自らの布団に潜り込んだ。




**********





翌朝。登校してきた陽介は、席に着くなり雪子と千枝に囲まれた。
「花村!クマくん家出したって…ケンカしたの?」
千枝が心配と驚きが半々くらいの表情で尋ねてくる。陽介とクマは外見こそ違うが兄弟のように仲が良い。口喧嘩程度はしょっちゅうだが、家出するほどの軋轢が生じるとは思えなかったのだ。陽介はばつの悪そうな顔で頭を掻く。
「あー…まあ、そんなトコ。ここん所、テストとかであんまあいつのこと構ってやれなかったから、拗ねちまったみたいでさ。昨日、孝介ん家寄って帰りが遅くなったら、いきなりキレて飛び出してった」
陽介の眼の下にはうっすらと隈がある。特別捜査隊の面々は彼の情の深さと繊細さを知っており、クマを心配してあまり眠れていないのが容易に推察できた。
「もー、ちゃんと面倒みてあげなきゃダメじゃん!アンタ、クマくんの保護者でしょ!」
千枝の言葉に陽介は唇を尖らせる。
「保護者じゃねーよ!ったく…」
「千枝」
雪子は親友の腕を軽く掴んで諌めた。雪子もつい千枝のように陽介を責めそうになったが、冷静に考えればテレビの外でのクマの面倒はほぼ陽介と花村家に任せきりになっている。心を砕いてはいても、実際には殆ど手を貸していない自分達が、陽介だけを責めることはできない。漆黒の瞳から言いたいことを察したのか、千枝はちいさく「ゴメン」と謝った。陽介は困ったように笑う。
「いいって。…アイツ、ずっとケータイ切ってて連絡取れねーんだ。昨日は完二の所に泊めてもらったけど、今日戻ってくるか分かんねーから、見つけたら捕まえといてくれ。あと、電源入ってても俺からの電話には出ないだろうからさ、もし連絡付いたら、危ねぇから夜はあんまり出歩くなって言っといて」
「分かった。花村くん、お母さんみたいだね」
雪子が微笑むと、陽介は心底嫌そうな顔をした。大きく溜息を吐きながら固い椅子に腰を下ろすと、珍しく遅刻ぎりぎりに孝介が入ってきた。少し遅れて柏木が入ってくる。
「ほぉら、席に着きなさい。じゃあ先ずは連絡事項からね。皆も知ってるとは思うけど、最近、通り魔が出るらしいからあんまり暗くならないうちに…」
甘ったるい担任の声を右から左へ流しながら、陽介は罪悪感と苛立ちを幾度目かも分からない溜息で封じ込めた。




天城屋旅館の雪子の部屋には布団が三組敷かれている。真ん中に陣取ったクマは甚くご機嫌で、先程からずっと嬉しそうに笑っていた。
「雪子、ホントに大丈夫なの?」
千枝が泊まりに来るのはよくあることだし、女同士なので何も問題ない。しかしクマの外見は美少年だ。線が細いのでぱっと見、美少女に見えないこともないが、喋ってしまえば言い逃れはできないだろう。
「うん、まあ。一応、友達の弟って言ってあるから。ただ、あんまり騒ぐと怪しまれるから、声は少し控え目にしてね」
「りょーかいクマ!ユキチャン、泊めてくれてホントにありがとう!!」
理解しているかは怪しいが、威勢のよい返事をしたクマに雪子は苦笑する。兄弟のように仲の良い陽介と、家出をするくらいの喧嘩をしたというので心配していたのだが、クマは元気そうだった。
「…ねぇ、クマくん。花村、かなり心配してたよ?何で家出なんかしたの?」
直球な千枝の問いに、クマは拗ねたような顔になる。
「だって…ヨースケが」
それきり言葉を探すように黙ってしまった彼に、雪子はやさしく話しかけた。
「花村くんが、何かしたのかな?それとも、何か言われた?」
「アイツ、変なトコすごい気ィ遣うくせに、無神経な所もあるからさ。言いにくいならあたしから言ってあげるよ?」
クマはぷるぷると首を横に振った。風呂上がりのプラチナブロンドがふわふわと揺れる。前髪の下で空色の瞳も揺れていた。
「…最近、ヨースケはセンセイとばっかり一緒で、クマのことなんてきっと、どうでもよくなっちゃったクマ。だからクマがいなくなっても、ヨースケは今頃せいせいして、センセイとイチャイチャしてるに決まってるクマ」
「あー…うん、まあ確かに、あの二人は仲いいけどさ」
千枝も雪子もどう答えていいか考えあぐねていると、クマは眠そうに目を擦り始める。時計を見ればそこまで遅い時間ではなかったが、彼はとても眠そうだった。
「クマくん、眠いならもう寝よっか」
「うん…せっかくのお泊りなのに勿体ないけど、今日はジュネスが混んでて大変だったクマよ。もうヘロヘロクマ」
「花村とケンカしてても、ちゃんとバイトは行ったんだね。関心関心」
千枝が頭を撫でてやると、クマは得意げに胸を張る。
「だって、お金は働いたからもらえるものだって、ヨースケもセンセイも言ってたクマ。それに、クマが勝手に休んだら、皆困っちゃうだろうし。前に風邪が流行って皆が休んだ時、ヨースケは休まないでずっとずっと働いてたクマ。ああいうのは、よくないクマ」
ぽすり、と枕に顔を埋めたクマに、雪子はそっと布団をかけてやった。クマは幼子のようにあどけなく笑う。電気を消しておやすみの挨拶をした後、いくらも立たずにクマは寝息を立て始めた。
「…雪子、起きてる?」
「うん」
小さな声で千枝が呼ぶ。クマを挟んで向かい合った二人は、彼を起こさないよう潜めた声を交わした。
「あたし、ちょっとビックリしたかも。クマくん、っていうか、花村、しっかりしてるんだね」
雪子も頷く。
「花村くん、本当は真面目だものね。…クマさんが寂しがるのも、無理ないかな。私だって悔しくなっちゃうくらい、最近の二人は仲いいから」
「あはは。あたしもちょっと思った。いいよね、男の子同士ってさ」
陽介はクマに対する態度こそぞんざいだが、本当は弟のように可愛がっていることを仲間達は皆知っている。だが、たまには邪魔されずに孝介と遊びたいという気持ちも千枝には理解できた。淡い恋心は破れてしまったが、自分だってそうだったからだ。それなりに周りと触れ合い生きてきた人間であれば、寂しさと向き合う術も、我慢することも知っている。だがクマに人間の定義を押しつけるのは酷だろう。
「――あ、分かった。お母さんなんだ」
疑問符を浮かべた千枝に、雪子は昔を懐かしむような淡い笑顔で答える。
「クマさんにとってはきっと、花村くんがお母さんみたいなものなんだよ。昔、お母さんが他の子と喋ってたりお世話してたりすると、嫌な気持ちになったことってない?クマさんは、花村くんが月森くんに取られちゃうって思って、余計に寂しく感じてるんじゃないかな」
「あー、そんな感じかも!雪子、すごいね!っていうか、やっぱり花村がお母さん?で、リーダーがお父さん?」
二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。クマは二人の間で安らかな眠りを貪っている。少しずれた布団を直してやり、雪子は言った。
「早く、仲直りできると、いいね」
「そうだね」
余程楽しい夢を見ているのだろう、クマは満面の笑みを浮かべ、寝言でここにはいない保護者の名前を呼んでいた。





**********




昼休みの屋上には、クマを除く特別捜査本部の面々が勢揃いしていた。
「――…っていう感じだったよ」
昨晩の状況報告を終えた雪子が、行儀よくパックのジュースを啜る。聞き終えた陽介は深く溜息を吐いた。
「天城も里中も、ホントありがとな。…つか、あいつ、そんなに寂しかったのかよ…」
項垂れる陽介に、孝介は申し訳なささそうな顔になる。
「陽介のせいだけじゃないよ。オレのせいでもある」
りせはやおら立ち上がると、塞ぎこむ二人の前に仁王立ちになって言い切った。
「もう!今は誰が悪いかじゃなくて、カンペキにヘソ曲げてるクマをどうやって連れて帰るかでしょ!しっかりしてよ!」
陽介は一瞬、眩しいものを見るような顔でりせを見上げると、すぐに表情を曇らせる。
「って言っても、アイツ、ずーっとケータイの電源切ってるんだ。こんな時に限ってシフトも合わないし、家には俺のいない時に着替えとか取りに帰ってるみたいんなんだけど、母さんはクマの味方して取り持ってくれないし」
「捕まらないのでは、説得のしようがありませんね」
直斗にとどめを刺され、陽介はこれ以上ないほど沈み込んだ。りせは形の良い顎に指を当てると、少しの思案の後に口を開く。
「完二、雪子センパイと千枝センパイときたら、残ってるのは私か直斗くんだけでしょ。多分クマ、今日も帰らないつもりならウチに来るんじゃないかな?月森センパイの所には行かなさそうだし」
「僕も同意見です。クマくんは僕の家を知らないから、十中八九久慈川さんの所に来るとみて間違えないでしょう。その、クマくんは、こちらの世界で頼れるのは僕らだけでしょうから」
陽介は痛みを堪えるような顔でりせに頭を下げる。
「頼む、りせ。アイツが来たら引きとめといてくれ。すぐ迎えに行くから」
「うん、それは別に構わないけど…センパイが来て、クマは大人しく帰るかな?」
りせは陽介ではなく、最後にクマと会った雪子と千枝を見やる。二人はそれぞれ難しそうな顔をした。
「うーん、まだ早いんじゃないかな。クマくんの中でまだ整理できてない感じだったし」
「そうだね。できればもう少し冷却期間を置いた方がいいかも」
りせは頷くと、薄い肩を沈ませている陽介に向き直る。男のくせに悔しくなるほど線の細い彼は、クマが家出してから少し痩せた。あの細い腕で先陣を切り、危なげなく戦う様をいつも見ているが、時折その華奢なラインに心配になることがある。クマが戻ってくるまで彼は自分を責め続け、更に痩せてゆくだろう。
(大事にされてるんだよ、クマ。だから早く、戻ってあげなよ)
「いいよ。クマが来たら、今日はウチに泊めてあげる。直斗くんも来てくれる?お泊り会ってことにすれば、おばあちゃんもあんまり気にしないだろうから」
「はい、じゃあお世話になります」
完二ががしがしと頭を掻きながら二人に言う。
「あー、お前らだけで手に負えないようだったら、電話しろや。オレん家に泊まらせるから」
「とかなんとか言っちゃって。ホントはあんたもお泊りしたいんじゃないの?」
「なっ…!りせ、テメー何いい加減なこと…!!」
きゃあきゃあと騒ぎ始めた後輩たちの声を聞きながら、陽介は半分近く残ったままの弁当箱の蓋を閉じようとした。しかし目敏く孝介に見咎められる。
「陽介。食べないと持たないよ。それ以上細くなったら探索には連れてかないからな」
「…ハイハイ、食べますよ」
母親からのエールなのか、好物ばかりが詰まっているのに、今日の弁当は何故かあまり美味しく感じられない。陽介は重い箸と口をなんとか動かし、機械的に咀嚼を続けた。





「アンタさぁ、いい加減帰ったら?花村センパイも、皆も、すごい心配してるよ」
りせは椅子に座りながら、布団の上で正座するクマに説教をしていた。その横では直斗が心配そうに二人の様子を見守っている。予想通り、クマは夕方になってマル九の前に現れた。いつもは晴れやかな顔が曇っており、彼の苦悩が伺える。りせの言及にクマはちいさな声で答えた。
「…帰れない、クマ。ヨースケは、クマのことなんてもういらないに決まってるクマ。それに、クマ、だいっきらいって言っちゃった…」
クマは泣くことができない。けれども、拙くも懸命に言葉を紡ぐ彼の心は確かに涙を流していた。りせはつられて泣きそうになりながら、クマの前に膝を突いて俯いた顔を覗き込む。
「花村センパイが、クマのこといらないって言ったの?」
クマはふるふると頭を振る。
「ヨースケも、センセイも、いらないって言ったワケじゃないクマ。でも、センセイがくるとヨースケ、センセイでいっぱいになっちゃう。センセイもヨースケのことしか見てないクマ。クマ、置いてかれちゃう。また、一人ぼっちになっちゃう」
クマの告白を聞いた直斗が冷静な声で言う。
「エディプス・コンプレックスですね。人間は成長の過程で、父親を始めとする周りのものを排斥して、母親を自分だけのものにしようとする時期がある。…クマくん、それはヒトであれば、誰もが抱えたことのある感情です。花村先輩も、月森先輩も、キミのことをいらないなんて思っているはずはありません」
「…ナオチャン、も?リセチャンも?」
不純物のないガラス玉のように澄み切った瞳に見つめられ、直斗は頷く。同じく頷いたりせは、点滅しだした携帯電話に表示された名前を見てクマに見せた。
「クマ。花村センパイから電話だよ。出る?」
クマは力なく拒絶を現した。りせは溜息を吐き、直斗に場を託して廊下へと出る。少し部屋から離れた所で通話ボタンを押すと、受話器の向こうから聞きなれた声がした。
『もしもし。クマ、様子どうだ?』
「んー、もう一息、かも。帰りたいって思ってるみたいだけど、自分はいらないって思いこんじゃってるから、帰れないみたい。ちょっと話はしてみるけど…やっぱり、花村センパイから話をするのが一番いいんじゃないかな」
『…分かった。明日、なんとかして捕まえる。ホントありがとな。迷惑かけるけど、アイツのこと頼むわ。直斗にもよろしく』
切れた電話を手に部屋に戻ると、クマは布団にうつ伏せになっていた。直斗がやさしくプラチナブロンドの髪を撫でてやっている。その表情は女性しか持ちえない慈愛に満ちていて、りせはそんな直斗もきれいだと思った。目だけで訪ねてくる彼女に、りせは電話を机の上に置いて答える。
「明日、なんとかしてコイツのこと捕まえて、話してみるって。…クマ、寝たの?」
直斗は布団を掛けてやりながら頷いた。
「疲れているみたいですね。ちゃんとアルバイトには行っているそうですし。あ、明日は急遽シフトが変更になって、遅番だそうですよ。だからあがる時間に待ち構えていれば、話ができると思います」
「流石、直斗くんだね。花村センパイに教えてあげなきゃ。メールしとくね」
「はい。お願いします」
メールを打つと、すぐに陽介から返事が返ってきた。今晩の自分達の任務はこれまでということにして、りせは電気を消して布団に潜り込む。直斗を部屋に泊めることは初めてではないが、まだ数えるほどでしかなく、彼女が慣れない場所ではすぐに寝られないことにりせは気付いていた。きっとまだ起きているだろうと思い、ちいさな声で名前を呼ぶ。
「ねぇ、直斗くん」
案の定、直斗からはすぐに返事が返ってくる。寝返りをうち、彼女の方を向いてりせは尋ねた。
「さっきのエディなんとかって難しい言葉。あれってつまり、クマにとっては花村センパイがお母さんで、月森センパイがお父さんってこと?」
「そうです。最初にクマくんと出会ったのは月森先輩と花村先輩だったそうですし、擦り込みでそう思っても不思議ではありません。お二人の性格から考えても、まぁ妥当ではないかと」
「確かに。お父さんな花村センパイって、何か違うもん。あの人、なんだかんだ言って世話焼きだし。直斗くんも色々とお世話、焼かれちゃってるでしょ?」
「ええ、まあ…正直、それはどうかと思う時もありますが、助けられてはいます」
苦さを含んだ直斗の声にりせは笑った。つられたのか直斗も笑いだす。密やかな笑みとクマの寝息が、真っ暗な部屋を満たしてゆく。クマが起きる気配はない。どうせまだ寝付けないだろうと、抑えた声で他愛もない話をしながら、りせは明日の朝、あのお節介な先輩がどれだけクマのことを心配しているかもう一度だけ説いてやろうと考えていた。




**********




ジュネスの裏手にある従業員用出入り口から出ると、冷たい風がクマを襲ってきた。服の隙間から侵入してくる冷気にクマは思わず身を竦める。
「さむっ…!」
時刻は22時を回ったところだった。本当はもう少し早くあがれるはずだったのだが、ちょっとしたトラブルがあり長引いてしまった。くう、と腹の虫が情けない音を立て、クマは大きく溜息を吐く。花村家に帰れば、陽介の母親が暖かい夕食を用意してくれるだろう。自分と陽介が喧嘩をしていることを知っているはずなのに、彼女は何も言わない。今朝戻った時も当たり前のように迎えてくれた。また、仕事中にも陽介の父親がふらりと現れ、息子の代わりに謝り、これからもよろしくと頼まれてしまった。罪悪感にクマは泣きそうになった。
(ヨースケは、悪くない。でも、クマも悪くない。…どうしたらいいクマ?)
仲間達の所は一巡してしまった。今から泊めて欲しいと言うのも気が引けて、クマは今日はテレビの中に戻ることに決める。ポケットから携帯電話を取り出し数日ぶりに電源を入れると、大量の不在着信と未読メールが流れ込んできた。半分くらいは陽介で、残りは仲間達からだ。今見る気にはなれなくて、クマは再び電源を切った。
辺りは暗く、ひっそりと静まり返っている。ジュネスの看板と正面玄関は煌々と明かりを湛えているが、裏口は暗く、必要最低限の明かりしかない。今日は曇っており月明かりも見えない。テレビの中しか知らなかった時は闇を恐れたことなどないのに、今はとても怖いものに感じた。
(そういえば、最近、ヘンシツシャが出るから遅くなる時は気をつけろって言われたクマ)
人が集まるジュネスにいれば、自然と噂話も集まってくる。ここ数週間で、暗闇から手足や衣服を切られる被害が数件起きており、従業員にも注意が呼び掛けられていた。自然と早足になりながら店舗入り口を目指していると、急に背後に何かの気配を感じてクマは振り向く。いつの間にか、すぐ後ろに人がいた。ただし、手には銀色に鈍く光る刃物を持っていたが。
「!!!」
驚きの声を上げる間もなく、男はナイフを振りかざして襲ってくる。なんとか最初の一撃を避けたものの、クマは混乱していた。相手がシャドウなら容赦はしない。あれは人の心から生まれた闇で、こちらに明確な殺意を持っていて、倒すべきものだと知っている。だが自分を襲ってきたのは人間だ。クマがなりたいと憧れたもので、大好きな陽介や孝介、仲間達と同じものだ。だからシャドウのように倒してはいけないし、争いたくはない。人が人を襲うこともあるとニュースで見知っていたのに、いざ自分が襲われるとどうしていいか分からなくなってしまった。
(クマ、どうしたらいいの?!助けて、ヨースケ、センセイ…!)
躊躇から動きの止まったクマ目掛けて、男が再び刃を構え突進してくる。この至近距離では交わすことができない。せめてもときつく眼を瞑ったクマの耳に入ってきたのは、肉を刺す音ではなく聞きなれた声だった。
「――うちのクマに、何すんだよ!!?」
目を見開いたクマの前で、陽介の放った彼の鞄が変質者の頭に直撃する。体が傾いだその隙にクマは走り出し、陽介に抱き付いた。その体はとても温かかった。
「ヨースケ!ヨースケヨースケヨースケ!!!」
「クマ、今は離れてろ!」
シャドウと対峙する時と同じ真摯な声に、クマは状況を思い出して慌てて体を放す。変質者は二対一で不利だと思ったのだろう、踵を返して逃げ出した。
「待ちやがれ!」
怒りが収まらずに後を追おうとした陽介だったが、それよりも早く動くものがいた。逃走経路を塞ぐ形に立つひとつの影。月のない夜でも仄かに光る銀糸の髪は、この町では彼しか持ちえない色だ。
「孝す…」
「うちの子達に、何、してんの?」
孝介の放つ本気の殺気に、男は本能的に竦み上がる。その隙を見逃さず、孝介は容赦なく足払いを掛け、倒れ込んだ体を地面に押しつけた。思わず見惚れるほどの無駄のない動きだ。
「孝介!!」
駆け寄ってきた陽介に、孝介は守衛を呼んでくるよう言う。慌てて駆け出した彼と、孝介とを交互に見やり、どちらにいるべきか迷っているクマに、孝介はやさしく話しかけた。なんとか逃げようともがく男が黙るよう、頭を強く地面に押しつける。後に回し捩じった腕に力を込めてやれば、逃げられないと悟ったのか抵抗が止んだ。
「クマ。…ごめん、オレ、陽介のことが特別に好きだから、陽介を独り占めしたかった。でもクマも、みんなも、大切なんだ。お前がいらないなんてことは絶対にない。大切な仲間だし、一緒にいたいと思う。だから、戻ってきてくれないか?」
「………クマ、ここにいて、いいの?邪魔じゃ、ないの?」
「当たり前だろう」
力強く肯定され、クマは泣きそうに顔を歪めた。涙は流れない。けれども、この渦巻く嬉しさや蟠りを吐き出すために人は泣くのだろうとクマは思った。
暫くして、陽介が数名の人手を連れて戻ってくる。すっかり大人しくなった変質者を引き渡した後、事情聴取を受けるためにジュネスの中へ戻ることになった三人は、大人達から少し離れた所を歩いていた。陽介と孝介に挟まれ、クマはもう自分が微塵も不安を感じていないことに気付いた。
(ああ、クマは、ここに帰りたかったのね)
「…ヨースケ、あのね」
意を決して口を開いたクマに、陽介は向き直るとやおら拳骨を振り下ろす。ごつん、とい痛そうな音が辺りに響いた。
「いっ…!何するのヨースケ?!ひどいクマ!!」
「うるせぇ!どんだけ心配したと思ってるんだ?!」
陽介の拳は震えており、クマを殴った指は赤くなっていた。人を殴り慣れない手はひどく傷むだろう。心配しつつも孝介は静かに二人を見守る。クマは売り言葉に買い言葉、といったように、陽介に食ってかかった。
「だって!ヨースケはクマなんてもういらないんでしょ!邪魔だって思ってるに決まってるクマ!!」
「…誰がいつ、そんなこと言ったんだよ。お前はうちの子になったの!そんなこと気にしないでいればいいの!」
陽介は足を止めると、ぐしゃぐしゃとクマの頭を乱暴に撫でた。そしてきゅう、と然程身長の変わらない体を抱き締める。温もりに包まれ、ちいさく聞こえた「ごめんな」という声を聞いただけで、クマはすべてが溶けてゆくのを感じた。

深夜のため音を消したパトカーが、点滅灯を光らせて進入してくる。守衛室の端に居座らせてもらい、クマと陽介は今までの諍いが嘘のようにお喋りをしていた。
「ヨースケ、クマ、お腹減ったクマ!今日のゴハンは何?」
「今日は煮込みハンバーグだって言ってた。つかお前のせいでまだ俺も食ってないの。この調子じゃ、いつ帰れることやら」
深く溜息を吐いた陽介の肩を、孝介は励ますように叩く。
「大丈夫。そんなに時間は取らせないから」
「?おう」
良く分からないまま頷くと、パトカーから足立が下りてくるのが窓から見えた。孝介はあまり人のよくなさそうな笑みを浮かべている。きっとその言霊使いの伝達力で足立を丸め込み、今日の所は早々に引き揚げさせるつもりなのだろう。過去に何回も孝介にしてやられている足立を見ているだけに、陽介は何だか申し訳ない気分になった。
「お前ってホント、悪いやつだよな…」
「オレにそんなこと言うの、陽介だけだよ」
「はは。違いねーや」
二人して密やかに笑っていると、クマが再びお腹が空いたと騒ぎ出す。陽介がポケットから取り出した飴玉を嬉しそうに頬張るその様は、まるで本当に兄弟のように仲睦まじかった。
(まあ、仕方ないか)
クマも陽介も、孝介にとってはどちらも大切な存在だ。陽介を独占するクマに嫉妬を覚えたのも事実だが、彼らが笑ってられるのならばそれでいい。今日のところは勘弁してやろうと孝介は思った。




END

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