忍者ブログ

whole issue

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

きらきらと・3

※加筆修正版

------------------

 孝介に連れられてやってきたのは、山手線の内側にある閑静な住宅地だった。時代に取り残された訳でもない、かといって最先端という訳でもないが、商業施設と住宅が程良い具合で立ち並び、端々に緑も見える暮らしやすそうな街である。
 駅から五分とかからない大きなマンションの前で足を止めた孝介は、迷いのない足取りでエントランスホールへ入ってゆく。ここが彼の家なのだろう。彼が鍵を取り出してオートロックを解除している間、完二は落ち着いた色彩と、品の良い調度品で飾られた空間をきょろきょろと辺りを見回していた。
(何か、落ち着かねぇな)
 近代的な集合住宅は、古い木造家屋の堂島家とは似ても似つかない。東京駅よりも幾分空気は綺麗だが、それでも八十稲羽とは全く違う。思い切り吸いこんだら噎せてしまいそうだ。
 頭上には澄んだ青空もなく、季節の野草が生い茂ってもいない。洗練された、と言えるのかもしれないが、画一された面白みのない空間のように完二には思えた。そしてそこに当たり前のように孝介が住んでいることに寂しさのようなものを覚えた。
 自動ドアが左右に割れ、中に入るよう促される。ホールを抜けてすぐのところにあるエレベーターに乗り込むと、孝介は最上階のボタンを押した。陽介がひゅう、と下手な口笛を吹いた。
「やっぱりお前ん家、金持ちだったんだな。都心の高級マンション、しかも最上階!」
孝介は苦笑を返す。
「親は仕事が生き甲斐ってくらいに働いてるし、共働きなぶん、収入は多い方だとは思う。でもまぁ、オレが稼いでる訳じゃないから、自慢にはならないよ」
「そりゃそうだ」
陽介はからからと笑った。
 ポーン、と軽い電子音が鳴り、目的階への到着を知らせる。最上階の戸数は他より少なく、一番奥のドアに「月森」と表札がかかっていた。
 「どうぞ。親は仕事でいないから遠慮なく」
孝介は客人を招き入れ、静かに扉を閉ざす。一軒家と同じくらい広々とした大理石調の玄関には、二足の靴が品良く並んでいた。促されるまま靴を脱いで上がり、リビングに通されると、そこには見慣れた二人の姿があった。
 「おはようございます。長旅おつかれさまでした」
ぺこり、と頭を下げたのは直斗だった。暗色系の私服に身を包み、トレードマークのキャスケットはソファの脇にちょこんと鎮座している。その横に座っていたりせは弾かれたように立ち上がると、完二に向かって勢いよく突っ込んでゆき――そのままの勢いで抱き付いた。
「! ちょ、お前」
「ばか! わざわざ来てくれるなんて、ホントばか!! 完二なんだから!!!」
 支離滅裂な文句を言いながらも、りせはしがみ付いたまま離れようとしない。どうしていいか分からず硬直していると、孝介が苦笑いしながらりせを宥めて引き剥がしてくれた。
 ひとまずソファに座り、家主が入れてくれた熱い紅茶を飲みながら一息吐く。
「特別捜査本部・イン・東京だな。里中達も連れてくりゃよかったか」
いつもの軽い調子で言う陽介に、直斗が含みのある口調で返した。
「いえ、お二人には、あちらにいていただいてよかったかもしれません。あまり気持ちのよい話ではないので」
彼女の言葉からは事件の臭いがした。途端に表情を引き締めた陽介に、香り高いるアールグレイを一口含んでから少女探偵は切り出す。
 「月森先輩には掻い摘んでご説明しましたが…昨日、りせさんを乗せた車が事故に遭ったのは、偶然ではない可能性があります」
「!!」
驚愕を顕にする陽介と完二に、愛らしい顔を険しく潜めてりせが言う。
「芸能活動を再開してすぐに、嫌がらせの電話や手紙がくるようになったの。家じゃなくて事務所になんだけどね。内容はどんどんエスカレートしてくるし、外歩いてると誰かに見られてるような気がして気持ち悪くなって、直斗くんに相談したんだ。社長にも警察にも言って、ひとまずは様子見ってことになったんだけど、実は昨日も…きてたの」
 りせはバックの中から封筒を取り出し、中から一枚の紙を取り出す。コピーされたそれには、コラージュでたった三文字が記されていた。

 『消 え ろ』

 完二は戦慄した。新聞や雑誌から切り抜かれたのであろう文字は機械的な分、得体の知れなさを感じさせる。映画やドラマの中でしかお目に掛ったことのない脅迫状に、一同は言葉を失った。直斗が冷静な声で後を継ぐ。
 「これはコピーです。現物は警察に渡してあります。昨日の事故は、りせさんのマネージャーがハンドル操作を誤ったのが原因ですが、病院で検査を行ったところ、睡眠薬が検出されました。今まで飲んだことがないと言っているので、恐らく犯人によって故意に混入されたのでしょう」
「…こりゃもう、嫌がらせっていうレベルじゃないだろう」
 乾いた声で陽介が呟く。りせはきつく手を握りしめ、ローテーブルに置かれた紅茶を睨んで言った。
「でも、負けてらんない。覚悟はしてたもの」
りせの身を案じるならば、犯人が捕まるまで活動を控えるよう忠告すべきなのだろうが、少女の目には制止など意味を成さない気迫があった。だから完二は代わりに、ここにきた目的を口にする。
 「おい、りせ。ドレス見せてみろ」
「あ、うん!」
 りせはソファの横に置いた紙袋からドレスを取り出す。旅立ちの日、美しい光沢を放っていた彩衣は、今は見るも無残な姿になり果てていた。
 半身はほぼ無事だが、腰から下の部分は焼け焦げ、所々破れている。衣装係の判断の通り、下半分は差し替えなければいけない。思った以上に酷い損傷に完二は思わず眉を潜めた。
「どう? なんとかなりそう…?」
 不安そうに見上げてくる友人の頭に、ぽん、と手を置き、完二はにやりと笑ってみせる。
「おう。布があんまり残ってねぇから、スカート、前より短くなるけどいいか? なるべくイメージ崩れねぇようにすっからよ」
りせは大きな瞳に強い意思の光を湛え、しっかりと頷いた。
「完二に任せる。そのドレスだってことが重要だから。あんたの腕、信じてるもの」
 ドレスを渡したりせは、棚の上に置かれたアンティークの時計を見て、慌てたように荷物を纏め始める。
「いけない、そろそろ井上さんが来る! 私、行くね」疑問符が浮いたのが見えたのか、直斗が代わりに説明をしてくれた。
「臨時のマネージャーです。りせさんが芸能活動を休止する前は、彼がりせさんの担当でした。現在は真下かなみのマネージャーですが、彼女が休暇中のため、当面の間は井上さんが担当になります」
「ふーん。まぁ、全く知らない人よりも、気心が知れてる人の方がいいよな」
呟く陽介と同意見だったが、何故か直斗は浮かない表情をしていた。言及したくなったが、今は作業が先だと言い聞かせ、完二は準備に取り掛かる。
 「なぁ。俺と孝介がここにいても、完二にお茶汲むくらいしか手伝えそうにないからさ。そっちの方で、何かできることあるか?」
 陽介の問いに、直斗は形のよい顎に指を当てながら答えた。
「そうですね…井上さんの許可が下りればですが、スタッフとしてりせさんの警備にあたってもらえますか? 僕は事務所から正式に依頼を受けていますが、お二人のことは話していないので」
 直斗はスケジュール帳を取り出すと、今日のりせの予定を列挙した。朝八時に事務所に行き連絡事項を確認した後、新宿と渋谷のCDショップでインストアライブ。その後雑誌の取材を一件挟み、夜の生放送番組のためにスタジオ入りというハードなスケジュールだった。
 「すげーな、アイドル」
大げさなほど驚愕する陽介に、りせはいたずらっぽく笑ってみせる。
「ホントのりせちーはこんなもんじゃないんだよ?」
「ま、俺にとってはカワイイ後輩だけどな。がんばれよ」
 頭を撫でられ、緊張が解れたのかりせは表情を崩した。孝介は一人残される完二のためにてきぱきと準備を整える。
「家の中の物は何でも自由に使ってくれて構わない。飲み物と食べ物は適当にここに置いとくけど、足りなければ冷蔵庫の中にあるから。トイレはそこ。電話やインターホンは無視していいから。もし買い出しが必要になったら、駅の向こう側にジュネスがあっただろ。あの中に小さいけど手芸屋が入ってたはずだからそこに行くといい。鍵はこれ。差し込んで部屋番号を押せばオートロックが解除されるから。分からなければ電話して」
「う、うっス」
 一息に言われ正直頭が付いていかなかったが、とりあえず完二は頷いた。慌ただしく出発の準備を整え、完二を除く一同は玄関へと向かう。
 「予定通りなら、インタビューが終わってからスタジオに移動するまでちょっと時間が空くの。四時頃にまたここに寄るから、それまでに…お願い」
「任せとけ! オメーも気張ってこいや」
 りせは返事の代わりに綺麗な笑顔を見せると、軽やかな足取りで歩き出した。ぱたり、と扉が閉ざされ独りになった完二は、己を鼓舞するように気合いの雄叫びを上げた。




**********




 「うっわー、スゲー人だな」
数時間後、陽介と孝介は新宿のCDショップの中にいた。
 ミニライブスペースを持つほどの大規模な店舗だが、開店直後であるにも関わらず、復活した「りせちー」を一目見ようとする人々でごった返し、身動きが取れないほどである。
 直斗の采配により無事に同行が許された孝介と陽介は、フタッフジャンパーを羽織って舞台の下手に立っていた。すぐ近くではりせがスタッフと最終確認をしている。
 あの一年での経験のおかげか孝介も陽介も実年齢よりは落ち着いているが、明らかに高校生か大学生といった風貌の二人にスタッフ達は最初こそ警戒していたものの、あの白鐘直斗の手伝いという肩書が加わっただけで一気に態度が軟化し、協力的になった。おかげでライブ直前の慌ただしい空気の中、こうして突っ立っていても文句を言われることはない。
 「月森先輩、花村先輩」
井上と打ち合わせを終えた直斗が小走りに駆け寄ってくる。彼女もスタッフジャンパーを着ているが、小柄なため服に着られているような様が愛らしい。
「りせさんが歌っている最中は、最前列にスタッフで壁を作ります。センパイ達は壁の内側で、不審人物がいないかどうか見張っていてくれますか。僕は退場ルートを確保するため下手で待機しています」
「分かった」
 ライブ開始時刻が刻一刻と迫り、店内の興奮と喧噪が高まってゆく。忙しく動き回るスタッフの邪魔をしないよう端に寄り、三人は小さな声で会話を交わした。
「…にしても、さ。怖いよな、芸能界って」
 移動中の車の中で直斗から聞いた、どろどろとした事務所内の内紛は、陽介の中のアイドル像を打ち壊すのに十分な破壊力を持っていた。
 準トップアイドルにまで登り上げたにも関わらず突然の活動休止を宣言し、およそ一年後に華々しく復活を遂げた「久慈川りせ」。彼女が芸能界に復帰したことで一番影響を受けたのは、同じ事務所に所属し、りせの後釜のような形で地位を確立している途中だった「真下かなみ」で、捜査線上に上がってきたのも彼女の名前だった。
 真下かなみはりせの代わりとしてオファーを受けた映画の撮影が上手く行っていないという。また、妹キャラとして売り出しはしたものの、アイドルとしての資質はりせの方が遙かに勝っていると実しやかに囁かれていた。りせは努めて以前と同じに振る舞おうとしているようだが、二人の関係はあまりよくないものになってしまったらしい。先輩の復帰により彼女自身の立場が脅かされると考えたのならば、動機は十分ある。
 「あくまでも可能性の話、です。彼女自身が関わっているという確証はありません。盲目的なファンの独断という可能性も高いですし。それに」
言いにくそうに口籠る直斗の頭に手を置き、孝介はやさしく言う。
「直斗は探偵だから、全部の可能性を疑わないといけないのは分かってるよ。でも、信じたいよな」
「…はい」
 井上はあくまでも臨時マネージャーであり、本来は真下かなみの担当だ。りせに献身的に接している彼が敵でないという保証はない。沈んだ空気を払拭するように、陽介は明るく言い放つ。
「大丈夫だって! 俺達、カミサマだってなんとかしちまったんだ。人間ごときに負けるはずねぇよ」
「ああ。大丈夫、きっと上手くいく」
孝介が微笑み、真面目な後輩の頭を軽く撫でた。直斗は頬をほんのりと赤くしたが、まんざらでもなさそうに微笑む。
「…そう、ですね」
 スタッフの誰かが時間を告げ、陽介達は慌てて配置に着いた。りせはちらりとこちらを見ると、緊張した面持ちで頷く。陽介達も頷き返す。言葉の代わりに目線でありったけのエールを送った。
 照明が落とされ、スポットライトが忙しなく回転する。陽介と孝介は人間の壁の内側に陣取り、ひしめく観衆を鋭い視線で監視した。始まるアップテンポの前奏。りせは数段の段差を駆け上がり、舞台上に姿を現す。
 『――みんな、今日は来てくれてありがとう! りせちーだよっ! 精一杯歌うので聞いてください』
わぁ、と歓声が上がる。建物が揺れた気さえした。りせは裏返ることもなく掠れることもなく、歌手顔負けの歌唱力でエキゾチックな恋の歌を歌い上げる。彼女の持つ強さも弱さもやさしさも、その全てをメロディに載せて。耳を打つ少女の想いは人の心を揺さぶり、虜にしてゆく。暗闇の中、光に照らされた彼女だけはきらきらと輝いていた。
 しかしステージの下では、興奮した客に押され壁がじりじりと後退させられつつあった。
「ちくしょ、これじゃ動けねぇ!」
押し潰されないようポジションを確保するのが精一杯で、とてもではないが不審人物の監視にまで手が回らない。孝介は珍しく舌打ちすると、よく通る声で陽介に指示を出した。
「下手へ戻るぞ! 仕掛けるとしたら最後、りせがステージから下りる時だ!」
「分かったッ」
 二人はなんとか人波の隙間を縫って舞台袖へと辿り着く。その間にもりせの歌声は止まず、やがて伸びやかな響きが溶け、曲が終わった。一呼吸の後、溢れるほどの声援と拍手が沸き起こる。
 『ありがとう! 本当に、ありがとう…!!』
軽く息を切らせたりせは、井上に促されて名残惜しそうに手を振りながら舞台を降りる。彼女に、彼女だけに向けられた声援はまだ止まない。僅か五分程度のミニライブは無事に完了し、場の緊張が緩んだその瞬間だった。
 「どけぇええええ!!!」
奇声を発しながら突進してくる、痩せ型の一人の男。その手には銀色に光る刃が握られている。制止しようとしたスタッフを跳ね飛ばし、男はただりせだけを目掛けて突っ込んで来る。
「え…」
 ぎらり、と眼前で光った刃を前に、りせは動かない。動けない、と言った方が正しい。思考に体が着いてゆかないのだ。
 「――りせっ!!」
陽介がりせと男の間に割り入るのと、孝介が掌手でナイフを持った男の腕を跳ね上げるのはほぼ同時だった。男の上からナイフが落ちる。一瞬だけ静まり返った会場に、刃の落ちる硬質な音がやけに大きく響いた。次の瞬間、悲鳴と怒声、どよめきが一気に爆発する。
 「先輩方、りせさん! こちらへ!!」
狂乱に近い喧噪に掻き消されないよう声を張り上げた直斗に呼ばれ、陽介は茫然としているりせの肩を抱くようにして歩き出した。一瞬だけ振り返って男を床に押さえつけている孝介を見るが、目だけで先に行けと促され、従業員用の通路へ逃げ込む。扉を閉じると少しだけ轟きが遠くなった。
「りせ、大丈夫か? 怪我、してないな?」
「………だいじょう、ぶ」
 今になって恐怖が襲ってきたのか、りせの細い肩は小刻みに震えていた。細い手が縋るように陽介の服の袖を掴んでいる。きつく握り締められた指は力を入れ過ぎて白くなっていた。それでも気丈に自らの足で立っている少女の姿に、陽介の胸は締め付けられる。
 慰めようとして、しかし陽介は口を噤んだ。彼女を励まし、勇気づけるのは自分よりも適任者がいる。だからただ、あやすように優しくりせの背中を叩き続けた。
 「りせ!! 無事かい?!」
息を切らして駆け込んできた井上に、りせはちいさく、それでもしっかりと頷く。彼は安堵の息を吐くと、陽介と、直斗に連れられて来た孝介に深々と頭を下げた。
「りせを守ってくれてありがとう。車を回してくるから、従業員出入り口で待っててくれるかな」
「分かりました」
 直斗の返事を聞き終わらないうちに、井上は小走りに駆けてゆく。喧騒はまだ続いている。りせの手をそっと外した陽介は、選手交代とばかりに孝介を見やり――その姿に固まった。
 「! どうしたんだよ、お前、その格好!?」
孝介は怪我こそないが、髪も服もぐちゃぐちゃだった。苦笑しながら彼は乱れたシャツの襟を整える。
「りせのファンにもみくちゃにされたよ。よくやった、ってね。直斗が助けてくれなかったらどうなってたことやら」
おどける孝介に直斗も笑った。
「すごかったですよ。りせさんは、愛されていますね」
「…っ!」
 二人の言葉に、とうとうりせの眦から涙が一筋零れた。泣き顔を見られまいと顔を手で覆い、嗚咽を漏らすまいと歯を食いしばる彼女の頭を、ぽん、と叩き、孝介は言う。
 「りせ、素敵だったよ。よくがんばったな」
「…っ、もぉ、何で、このタイミングで言うかな…! 泣かないって、決めた、のに、メイクも、崩れちゃう、しッ」
 一度決壊した途端、涙は後から後から溢れてくる。泣きじゃくるその姿は、彼女がどれほど気を張っていたか、追い詰められていたかを物語っていて、胸が痛くなった。
 泣き止まない後輩に困っていると、孝介が独り言のように呟く。
「駐車場、結構遠かったよな」
「ん? ああ、そうだな。井上さんが下に来るまで、まだ少しかかるんじゃないか」
「陽介、髪の毛直してよ。どれだけ酷いことになってるのか自分じゃ分からないし」
 孝介はりせに背中を向ける。普段の彼は決してこんなことは言わない。陽介は瞬時に相棒の意図を汲み取り、孝介の横に肩を並べた。
「しょーがねーな。男前が台無しだぜ、センセイ」
「あ、僕、鏡持ってますよ。どうぞ」
「流石直斗、女の子だねぇ」
「…花村先輩、相変わらずですね」
 廊下の一角に、壁を作るようにしてりせを囲む。他人の目から隠し、全てから守れるように。りせは孝介の広い背中に顔を埋めると、全てを吐き出すかのように泣いた。やがて落ち着いたのか、彼女は恥ずかしそうに顔を上げる。
 「ありが、とう。もう、ヘイキ、だよ」
「そうか。じゃあ、行こう」
 従業員出入り口では、既に井上が待っていた。赤くなった目元、落ちた化粧は隠しようがないが、彼は何も言わない。ワゴン車に全員で乗り込み、走り出してから、彼は静かに尋ねた。
「渋谷のライブ、予定通りいけるかい?」
「…うん。やらせて、ください」
 りせは迷いのない目で頷いた。井上はふわり、と空気を和らげる。
「強く、なったね。昔の君もがんばっていたけど、今はもっと強くなった。綺麗になった。皆の、おかげかな」
バックミラー越しの視線は兄のようにやさしい。りせは返事の代わりに誇らしげに笑った。




**********




 時計の針の音だけが響く中、完二は最後の仕上げに入っていた。壁にかかった時計が示す時刻は十二時過ぎ、約束まではまだ時間がある。
(アイツ、上手くやってんのかな)
 孝介達を信用していない訳ではないが、気になった完二はテレビを点けてみた。月森家のリビングに置かれたテレビは、自分達があちら側の世界に出入りするのに使っていたものとそう変わらない大きさがある。スイッチを押したのと殆どタイムラグなく映った画面は丁度ニュースで、更に偶然にもりせが取り挙げられていた。
 『――芸能界に復帰したばかりの久慈川りせさんが、本日午前、新宿のCDショップでのライブ中に、突然乱入してきた男に襲われ…』
「!?」
 画面に食らいつく完二を嘲笑うかのように、冷静なアナウンサーの声は続ける。
『男はスタッフに取り押さえられ、久慈川さんに怪我はありませんでした。午後に予定している渋谷のCDショップでのライブは予定通り――』
 無事、の言葉に完二は肩の力を抜いた。彼の心配を見透かしたかのように、机の上に放り出しておいた携帯電話が鳴る。ディスプレイには孝介の名前が表示されていた。
 慌てて通話ボタンを押すと、受話器の向こうから、相変わらず涼しげな声が聞こえてくる。
『完二。作業は順調か?』
「も、もちろんっスよ! つかセンパイ、りせが…」
大声を出す完二に、孝介はテレビの中で何度も仲間に言い聞かせてきた言葉を口にする。
『落ち着け。ニュースで見たんだな? 大丈夫、怪我はないよ。りせ』
 がさごそと暫く物音がした後、聞こえてきた声は完二が予想していたよりも遙かに明るかった。
『もしもーし! 私は大丈夫だよ! そっちはどう?』
「…おお、こっちだって順調だよ!さっさと取りに来いや!」
 りせは「相変わらず声でかい」と毒づくと、声のトーンを落として言う。
『あのね、マスコミが集まるだろうから、スタジオ入りの時間を早めることにしたの。そっちに寄れるのが三時頃になると思う。予定より早いけど…大丈夫?』
 完二はちらり、と時計を確認すると、見えていないと分かっていながら深々と頷いた。
「問題ねーよ。オレはここでオレのやることをやっから、お前はお前のやること、やって来い」
 ひゅ、と息を呑む音が聞こえた気がした。須臾の沈黙の後、りせは絞り出すように呟く。
『…うん。がんばる。じゃあね』
 持ち主に戻ることなく切れた電話をソファの上に落とし、完二は息を吐き出す。安堵と、そしてもどかしさが綯い交ぜになったこの気持ちを、なんと表現していいのか彼には分からなかった。
 作業台替わりにしたローテーブルの上に広げられたドレスを見やる。ドレス自体の修復はほぼ完了していて、元のものよりスカートが短くはなったものの、朱衣は新品に戻ったかのように鮮やかだ。このまま着ても支障はないが、完二はどうしてもやりたいことがあった。八十稲羽から持ってきた道具箱をひっくり返し、目的の物を探し出す。
「あった…!」
 一度失ったものは元には戻らない。ならば前のドレスに似せたものではなく、今の彼女に最も似合う形で渡したい。完二はもう一度時計を確認すると、慣れた、けれども慎重な手つきで指を動かし始めた。




 「ほらよ」
三時を少し過ぎた頃、再び孝介の家を訪れたりせに、完二は玄関先でドレスを渡した。
 焼け焦げ、汚れた無残な様は少しも残っていない、うつくしい光沢を放つ彩衣をりせは宝物のようにきゅうと抱き締める。
「ありがとう…!」
その言葉だけで全てが報われた気がした。照れ臭さを隠しながら、完二は次いで後ろ手に持っていたものを差し出す。
「あと、これもやる。裾が短くなっちまったから、ちっとでも華やかな方がいいだろ」
 それはドレスとお揃いの布と、赤いオーガンジーで作られたコサージュだった。花芯に見立てた金色の飾り紐とのコントラストが鮮やかだ。りせは大きな眼を更に見開き、声もなく掌に載せられた花を見つめる。
 「…んだよ、気にくわなかったか?」
少し不安になって訪ねると、りせはぶんぶんとツインテールを揺らして首を横に振った。
「そんなワケないでしょ! 逆よ、逆! もー、どうしてあんたみたいにゴツイのからこんなキレイなものができあがるのか、ホント分かんない!! …ありがたく、もらってくね」
 りせははにかむように笑うと、ドレスを体に押し当て、コサージュを胸に載せる。ひらひらと揺れるドレスと艶やかな花飾りは、完二の見立てた以上に彼女に似合っていた。
 「りせさん、そろそろ」
時計を見た直斗に促され、りせは紙袋に慎重にドレスをしまい、踵を返して玄関を開けた。扉の向こうから午後の光が差し込み、ずっと部屋に籠っていた完二の目を焼く。逆光の中で手を振る彼女はきらきらと光っていた。
 「じゃあね! テレビ、ちゃんと見ててよねっ。行こ、直斗くん」
「はい。では行ってきます」
自らの進むべき道を定めた少女達は、連れ立って光の中へと飛び立ってゆく。玄関には男三人だけが残された。
 「センパイ達は行かないんスか?」
「ああ。中は警備がしっかりしてるから直斗だけで十分だって。という訳で、オレ達はひとまずお役御免だ。…よくがんばったな、完二」
 子供のように孝介に頭を撫でられ、完二は嬉しさと恥ずかしさに顔を背ける。けれども手を払いのけることはしなかった。たった一歳の差しかないのに、目の前の先輩の手は大きく硬い。幼い頃に父親に撫でられた記憶と、今与えられているぬくもりが重なり、目の奥がじんわりと熱くなった。
「やめてくださいよ、ガキじゃねーんだし」
 陽介は何も言わず、にやにやと人の悪い顔をして見守っている。孝介がいない時はまるでリーダーのように頼りになったのに、参謀に戻った途端に元に戻るのだから始末が悪い。それでも、悔しいことに完二にとって陽介は先輩で、尊敬できる強さを持った存在だった。
 その細い体で潰されそうなほどの重責を受け止め、立っているの知っている。手が届きそうなほど近くにいるのに、指先が触れることは叶わない。だから余計に腹立たしい。大役を終えた安堵から疲労が一気に襲ってきたこともあり、完二は無言で陽介の足を蹴った。
「いっ…! 何すんだよッ」
「アンタの顔がムカツクんだよ!」
「この顔は生まれつきだっつーの!」
 喧々諤々とつまらない言い争いをしていると、孝介が呆れ顔で仲裁に入る。
「二人共、その辺りにしておいてくれ。完二、疲れただろう。何か作るから一休みするといい。陽介も上がって」
 孝介に背を押され、一同は居間へ移動した。ソファに腰を下ろした途端、瞼を開くのも億劫なほどの眠気を感じ、完二はクッションに顔を埋める。
「完二。客間に布団引くから、もうちょっとがんばってくれ」
「や、もう、ここでいい、っス。りせの、テレビの時間になったら、起こし、て、くださ…」
最後まで言い終わらないうちに、完二の意識は眠りの国へと垂直落下していった。



NEXT

PR

comment

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]