忍者ブログ

whole issue

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

うちのクマ知りませんか

*加筆修正版
クマにとってはセンセイがパパ、ヨースケがママ!みんな仲良しがだいすきです。

-----------------------------------

 夜も更けてからようやく帰宅した陽介を玄関先でつかまえ、クマは低い声で唸った。
「――ヨースケ。最近クマをナイガシロにしてないクマか?」
その眼は完璧に座っている。思い当たる節のある陽介は「そんなことねーよ」と言いつつも、クマの視線から逃れるように階段を上った。雛鳥よろしくその後を追いながらクマは続ける。
「今日もセンセイの所に行ってたクマね。ヨースケばっかりセンセイとナナチャンと遊んでずるい! クマも遊びたい!」
「遊んでるんじゃなくて勉強してたんだよ。この間まではテスト勉強で、今日はテストの結果があんまりよくなかったらアイツに教えてもらってたの」
「でもこの間センセイが来た時も、ベンキョウって言ってクマを部屋から追い出して全然出てこなかったクマ!」
「仕方ねぇだろ、お前ウルサイからいたら勉強になんないっつーの」
「ヨースケ、最近センセイとばっかり一緒にいる! クマだって遊んで欲しいのに!!」
 一際大きい声で叫ばれ、陽介は言葉に詰まった。空色の大きな瞳には責める色があり、後ろめたいことのある彼は強く反論できない。
 勉強は口実だ。全くしていない訳ではないが、実際のところは恋人である孝介との逢瀬であり、クマがいては色々と不都合がある。
 クマはまだ生まれたばかりの赤ん坊のようなものであり、妙に達観している部分もあるが、外見よりも精神の成熟が足りない。だから察しろという方が無理だし、こちら側の世界には頼る者は自分達しかいないことも重々承知だ。
 遊んで欲しいのも、構って欲しいのも分かるし、できる限り付き合ってやりたいとは思っている。けれども、探索やテストで思うように二人きりの時間がなかなか取れなかったため、悪いとは思いつつ陽介も孝介も互いを求めあうことを優先してしまった。二人の関係までは流石に気付いていないだろうが、陽介はクマの鼻の良さに内心冷汗をかいていた。
 何も言わない陽介に痺れを切らしたのか、クマはわなわなと肩を震わせる。
「…ヨースケなんか、ヨースケなんか……だいっきらいクマ!!」
 クマはくるり、と踵を返すと、そのまま階段を駆け下り、外へと飛び出して行った。
「!? クマ、待てッ」
慌てて後を追ったが、既にプラチナブロンドは闇に溶け、影も形も見えなくなっていた。




 「――だから! ヨースケはクマのありがたさが全然分かってないクマよ! クマのおかげでどれだけ…」
「あーハイハイ。分かったからちっとは落ち着けや」
 完二は、はぁ、と大きな溜息を吐いた。
 夕食後にふとジュースが飲みたくなり、小西酒店前の自動販売機まで行こうと家を出た途端、走ってきたクマと遭遇した。いつになく興奮し、要領を得ない説明しかできないクマに押し入るようにして部屋に上がり込まれ、現在に至る。
(ったく、めんどくせーことになっちまった)
 クマは元々テンションが高いが、ここまで喋り続けることは珍しい。人形のような顔を見るからに不機嫌そうに歪め、形の良い唇からぽんぽんと飛び出す陽介に対する罵詈雑言から、喧嘩して飛び出してきたのは容易に想像できる。しかも彼は今晩ここに泊まるつもりらしい。厄介なことだ。
 最初は直球に、次は迂遠に花村家へ帰るように言ってみたが、クマは頑なにそれを拒んだ。頑として首を縦に振ろうとしないその姿は、意地を張っている幼子の姿そのもので完二は苦笑する。
「おい、クマ公。花村センパイは確かにちょっとウゼーしおせっかいだけど、仮にもテメーの世話になってる人だろうが。何がそんなに気に食わねぇんだよ」
「ム! カンジ! ヨースケのことウザイって言っちゃダメクマ!!」
 訴えるクマの表情は真摯なものだった。先程まで罵っていた相手を弁護するように聞こえ、完二は首を傾げる。
「はぁ? テメェだってさっきから散々悪口言ってたじゃねーか」
「クマはいいの! っていうか、ウザイだけはダメクマ! それだけはヨースケに言っちゃダメ!!」
 事情はよく分からないが、「うざい」という単語は陽介にとって禁句なのだろう。確かにクマはその言葉だけは口にしていなかった。勢いに押されつつ完二が頷くと、金髪碧眼の美少年は満足そうに笑った。
 (コイツ、なんだかんだ言っても、花村センパイのこと好きなんだよな)
また陽介について文句を言い始めたクマの話を適当に流しつつ、完二は思考を巡らせる。面と向って伝えることはできないが、陽介のことは孝介とはまた違った意味で尊敬していた。
 孝介は寛容で、その懐はとてつもなく広いが、彼は認めた者には厳しい一面もあり、突き離す強さも持っている。だが陽介は内側に入れたものはどこまでも許容してしまう。甘いと言えばそれまでだが、傷付きながらも相手を受け止めようとするその姿勢は、完二が持ちえない強さだった。ただし孝介とは違い、お節介で一言多いというマイナス面も目立つが。
 クマのことも、何だかんだ言いながらきちんと面倒を見ているのを知っている。学校に通い、事件を追い、アルバイトをしながら、こちらの世界の常識のないクマの面倒を見るのは大変だろう。けれども陽介は決してクマの存在を否定しない。一つしか違わないのに、自分より背も小さく腕も腰も首も細いのに、陽介がひどく大人に思えた。
 「なぁ。月森センパイに相談してみればいいんじゃねーか?」
クマの話しぶりからは、どうして憤っているのかを自分でも理解できていないように感じられた。ならば自分がそうだったように、孝介に話を聞いてもらうことで何かに気付くかもしれない。孝介が大好きなクマは、いつもなら一も二もなく頷くはずだが、何故か今日に限って「ダメ!」と首を横に振った。
「んだよ。まあいいけどさ。つかそろそろ寝るぞ」
 母親が用意してくれた客用布団を適当に広げていると、携帯電話が鳴った。見れば渦中の人からメールが入っている。

From:花村センパイ
件名:クマが家出した
本文:見つけたら連絡頼む。捕まえといてくれ。

 クマは喋り疲れて眠くなったのか、貸してやった着替えに包まり既にうとうとし始めている。完二は電気を消してそっと部屋を出ると、廊下の隅で電話帳から陽介を呼び出し、コールボタンを押した。すぐに受話器の向こうから彼の声が聞こえてくる。
 『――もしもし!』
「あー、花村センパイ。クマ公、いまウチにいますよ」
『…そっか。なら安心だな。面倒かけてホント悪ィんだけど、一晩預かってくんねーか? アイツ、明日は朝からシフト入ってるから、お前が学校行く時に放り出してくれればいいから』
 陽介の声には疲れが滲んでおり、心なしか息が荒い。きっと心配してあちこち探し回ったのだろう。皮肉のひとつでも言ってやろうと思っていた完二は毒気を抜かれ、穏やかな口調で返した。
「いいっスよ。いっつも花村センパイにばっかクマの面倒見させてますし。明日ガッコでちゃんと事情説明してくださいや」
『ん。ありがとな。じゃ、おやすみ』
 通話を終えて部屋に戻ると、クマはすっかり夢の世界の住人となっていた。天使のような寝顔に不覚にもしばし見とれていると――自分は決して同性愛者ではない、綺麗なものや可愛いものが好きなのだ――、彼の唇が小さく動く。
「……………センセイ、ヨースケ、取っちゃ、イヤクマ……」
 完二は聞かなかったことにして、自らの布団に潜り込んだ。




**********




 翌朝、登校してきた陽介は、席に着くなり雪子と千枝に囲まれた。
「花村! クマくん家出したって…ケンカでもしたの?」
 千枝が心配と驚きが半々くらいの表情で尋ねてくる。陽介はばつの悪そうな顔で頭を掻いた。
「あー…まあ、そんなトコ。ここん所、テストとかであんまあいつのこと構ってやれなかったから、拗ねちまったみたいでさ。昨日、孝介ん家寄って帰りが遅くなったら、いきなりキレて飛び出してった」
 陽介は深々と息を吐く。クマが出て行った後、完二から連絡があるまで、陽介は心当たりのある場所を文字通り駆け回ったのだ。ひとまず消息が知れても、今度は苛立ちと罪悪感に苛まれ、食欲はなくなるし、布団に入っても寝られない。おまけに父と母には、兄の――懐の広すぎる両親は、クマと陽介を兄弟として扱っている――自覚に欠けると怒られる始末である。
(ったく、面倒かけさせやがって)
 クマは五月蝿いし、とにかく手間が掛る。色彩とかたち、においに溢れた町の全てが真新しく映るらしく、目を放すとふらふらと何処かへ行ってしまい、挙句、とんでもないことを仕出かしてくれたりする。まるで幼子のようで目が離せない。テレビの中では貴重な戦力だが、学業とアルバイト、そして探索の合間を縫って捻出した貴重な自由時間まで、クマに邪魔されたくないという思いは確かにあった。
 だが、陽介は決してクマを疎んでいる訳ではない。断じてない。なりゆきで預かる羽目になり、そのまま花村家に居着いてしまったが、本当に倦じているのならばあちらの世界へ追い返すことだってできたのだ。それをしていないのは、陽介自身が既にクマを家族として認識しているためである。どんなに迷惑を掛けられても、兄としては弟を見話したりはできない。
 「もー、ちゃんと面倒みてあげなきゃダメじゃん! アンタ、クマくんの保護者でしょ!」
責めの色が滲んだ千枝の言葉に、陽介は反射的に反論した。
「保護者じゃねーよ! あんなでかいコドモいねーよ!ったく…」
「千枝」
雪子が親友の腕を軽く掴んで諌める。漆黒の瞳から言いたいことを察したのか、千枝は「あ」と声を漏らすと、申し訳なさそうに頭を下げた。
 「ごめん…。うちら、よく考えたら、花村ん家にクマくんのこと任せっきりだったもんね。偉そうなこと言う資格、ないや」
素直に謝ることができるのが彼女の美点だ。恐縮しきる千枝に、陽介は気にするなと笑顔を向ける。
「いいって。…アイツ、ずっとケータイ切ってて連絡取れねーんだ。昨日は完二の所に泊めてもらったけど、今日戻ってくるか分かんねぇから、見つけたら捕まえといてくれ。あと、電源入ってても俺からの電話には出ないだろうからさ、もし連絡付いたら、危ねぇから夜はあんまり出歩くなって言っといて」
「花村くん、お母さんみたいだね」
 やさしく微笑む雪子に、陽介は心底嫌そうな顔を作って見せた。その表情がお気に召したのか、雪子は体をくの字に折り曲げて肩を震わせ始める。親友のスイッチが入ったのを察した千枝が慌てて彼女を席に着かせるのを見守りながら、陽介も硬い椅子に腰を下ろした。冷たい座面に心まで冷えてしまいそうだ。
 「おはよう。…クマは?」
 珍しく遅刻ぎりぎりに入って来た孝介に、陽介は被りを振って見せる。そのすぐ後に、いつも通り胸元の大きく開いた服を纏った柏木が入ってきたが、その甘ったるい口調が今日はやけに癇に障った。
「ほぉら、席に着きなさい。じゃあ先ずは連絡事項からね。皆も知ってるとは思うけど、最近、通り魔が出るらしいからあんまり暗くならないうちに…」
 担任の声を右から左へ流しながら、陽介は叫びたくなるほどの罪悪感と苛立ちを、幾度目かも分からない溜息で封じ込めた。




 天城屋旅館の雪子の部屋には布団が三組敷かれている。真ん中に陣取ったクマは甚くご機嫌で、先程からずっと嬉しそうに笑っていた。
 「雪子、ホントに大丈夫なの?」
千枝が泊まりに来るのはよくあることだし、女同士なので何も問題ない。しかしクマは、中身はともかく外見は美少年だ。線が細いのでぱっと見、美少女に見えないこともないが、喋ってしまえば言い逃れはできないだろう。
 雪子は言葉を濁しつつ答える。
「うん、まあ。一応、友達の弟って言ってあるから。ただ、あんまり騒ぐと怪しまれるから、声は少し控え目にしてね」
「りょーかいクマ! ユキチャン、泊めてくれてホントにありがとクマ」
 理解しているかは怪しいが、威勢のよい返事をしたクマに雪子は苦笑する。兄弟のように仲の良い陽介と、家出をするくらいの喧嘩をしたというので心配していたのだが、クマは思ったよりも元気そうだった。
 「…ねぇ、クマくん。花村、かなり心配してたよ?何で家出なんかしたの?」
直球な千枝の問いに、クマは拗ねた子供そのものの表情で唇を尖らせた。
「だって…ヨースケが」
それきり言葉を探すように黙ってしまった彼に、雪子はやさしく話し掛ける。
「花村くんが、何かしたのかな? それとも、何か言われた?」
「アイツ、変なトコすごい気ィ遣うくせに、無神経な所もあるからさ。言いにくいならあたしから言ってあげるよ?」
 しかしクマはぷるぷると首を横に振った。風呂上がりのプラチナブロンドがふわふわと揺れる。前髪の下で空色の瞳も揺れていた。
「…最近、ヨースケはセンセイとばっかり一緒で、クマのことなんてきっと、どうでもよくなっちゃったクマ。だからクマがいなくなっても、ヨースケは今頃せいせいして、センセイとイチャイチャしてるに決まってるクマ」
 千枝も雪子もどう答えていいか考えあぐねていると、少年は眠そうに目を擦り始めた。時計を見ればそこまで遅い時間ではなかったが、彼はとても眠そうだ。
「クマさん、眠いならもう寝よっか」
「うん…せっかくのお泊りなのに勿体ないけど、今日はジュネスが混んでて大変だったクマよ。もうヘロヘロクマ」
「花村とケンカしてても、ちゃんとバイトは行ったんだね。感心感心」
千枝が頭を撫でてやると、クマは得意げに胸を張る。
「だって、お金は働いたからもらえるものだって、ヨースケもセンセイも言ってたクマ。それに、クマが勝手に休んだら、皆困っちゃうだろうし。前に風邪が流行って皆が休んだ時、ヨースケは休まないでずっとずっと働いてたクマ。ああいうのは、よくないクマ」
 ぽすり、と枕に顔を埋めたクマに、雪子はそっと布団をかけてやった。クマは幼子のようにあどけなく笑う。電気を消しておやすみの挨拶をした後、いくらも立たずに寝息が聞こえ始めた。
 「…雪子、起きてる?」
「うん」
小さく呼ばれ、雪子は潜めた声で返事をした。クマを挟んで向かい合った二人は、彼を起こさないようひそひそ声で会話をする。
「あたし、ちょっとビックリしたかも。クマくん、っていうか、花村、しっかりしてるんだね」
「花村くん、本当は真面目だものね。…クマさんが寂しがるのも、無理ないかな。私だって悔しくなっちゃうくらい、最近の二人は仲いいから」
 雪子は孝介を慕っていた。ただし想いは実らず過去形だが。
 千枝も、りせも、彼に惹かれていたのを知っている。特別捜査隊に加わって間もない直斗でさえ憧れを抱いている。自分達など序の口で、八十稲羽中の、と表現しても過言でないくらい、孝介は多くの者に好かれている。
 数多の同性からは友愛を、異性からは恋愛感情を向けられる彼の、一番近くにいる陽介を、羨ましいと思ってしまったのは事実だ。本当は自分がその位置に立ちたかった。恋人でなくても、友人でも、傍らに在るのを許されたかった。
 だが、テレビの中で互いに背中を預けて戦い、視線だけで意思を疎通させる彼らを見ているうちに、雪子は諒解した。陽介と孝介は特別な関係なのだと。他者が入り込めない強い繋がりが二人の間にはある。置いて行かれたようで寂しくもあるが、雪子にとっては孝介も、陽介も、大切な仲間だ。二人が笑っているのならばそれでいいと納得できた。ちくりとした胸の痛みを感じる時もたまにあるが、時間が尖りをやさしく研磨してゆき、やがては感じなくなるのだろう。
 きっと同じ気持ちに違いない、千枝もからからと笑っている。その表情に暗さは微塵もなかった。
「あはは。あたしもちょっと思った。いいよね、男の子同士ってさ。あ、もちろん、女の子同士がイヤってワケじゃないからね」
「大丈夫、分かってるから。…でも、私達はいいけど、クマさんにはちょっと、難しいかもしれないね」
「うーん、そうだね。クマくんはまだ、コドモみたいなものだから」
 天使のような寝顔を眺め、少女達は憂いを浮かべる。それなりに周りと触れ合い生きてきた人間であれば、寂しさと向き合う術も、我慢することも知っている。だが、ついこの間まで自我さえなかったクマに、人間の定義を押しつけるのは酷だ。
 「――あ、分かった。お母さんなんだ」
ふと思い当たり、雪子は呟いた。疑問符を浮かべた千枝に、雪子は懐古しながら語る。
「クマさんにとってはきっと、花村くんがお母さんみたいなものなんだよ。昔、お母さんが他の子と喋ってたりお世話してたりすると、嫌な気持ちになったことってない? クマさんは、花村くんが月森くんに取られちゃうって思って、余計に寂しく感じてるんじゃないかな」
「あー、そんな感じかも! 雪子、すごいすごい。…っていうか、やっぱり花村がお母さん? で、リーダーがお父さん?」
二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。
 クマは二人の間で安らかな眠りを貪っている。少しずれた布団を直してやり、雪子は言った。
「早く、仲直りできると、いいね」
「そうだね」
 余程楽しい夢を見ているのだろう、クマは満面の笑みを浮かべ、寝言でここにはいない兄の名前を呼んでいた。




**********




 昼休みの八十神高校の屋上には、クマを除く特別捜査隊の面々が集まっていた。
「――…っていう感じだったよ」
 昨晩の状況報告を終えた雪子が、行儀よくパックのジュースを啜る。聞き終えた陽介は深い深い溜息を吐いた。
「天城も里中も、ホントありがとな。…つか、あいつ、そんなに寂しかったのかよ…」
 自責の念に駆られる陽介の横で、孝介は同じか、もっと神妙な顔をしていた。
「陽介のせいだけじゃない。オレのせいでもある」
「いや、俺が悪いよ。もっと気ィ使ってやるべきだった」
「そうじゃ――」
 尚も言い募ろうとしたリーダーの言葉を遮ったのは、りせだった。やおら立ち上がった彼女は、塞ぎ込む二人の前に仁王立ちになって言い切る。
「もう! 今は誰が悪いかじゃなくて、カンペキにヘソ曲げてるクマをどうやって連れて帰るかでしょ! しっかりしてくださいよ」
 彼女の姿は逆光のせいだけではなく眩しかった。彼女の心の在り方はまっすぐで、強い。すぐに自己嫌悪に陥り、殻に閉じ籠ってしまう自分にはきらきらしすぎる。陽介は目を細めながら彼女を見上げ、押し出すように呟いた。
「って言っても、アイツ、ずーっとケータイの電源切ってんだ。こんな時に限ってシフトも合わないし、家には俺のいない時に着替えとか取りに帰ってるみたいんなんだけど、母さんはクマの味方して取り持ってくれないし」
「捕まらないのでは、説得のしようがありませんね」
 直斗に止めを刺され、陽介はがっくりと項垂れた。鬱々とした空気を纏っている先輩を尻目に、りせは形の良い顎に指を当てると、少しの思案の後に口を開く。
「完二、雪子先輩と千枝先輩ときたら、残ってるのは私か直斗くんだけでしょ。多分クマ、今日も帰らないつもりならウチに来るんじゃないかな? 月森センパイの所には行かなさそうだし」
「僕も同意見です。クマくんは僕の家を知らないから、十中八九久慈川さんの所に来るとみて間違えないでしょう。その、クマくんは、こちらの世界で頼れるのは僕らだけでしょうから」
 その言葉にずきん、と胸が痛んだ。
 クマの世界はテレビの中と、特別捜査隊、花村家、ジュネスだけで形成されていると言ってもいい。陽介とて知己が多い訳でも、活動範囲が広い訳でもないが、クマはそれ以上に狭い世界しか知らない。ゆえに、寄る辺はごく限られてくる。
 手を差し伸べてくれる者はなく、縋るべきものも分からず、寒空の下、一人ぼっちで泣いている幼子――今のクマは迷子の子供と同じだ。そして、あたたかな家から追い出してしまったのは自分だ。
(ちくしょう)
 陽介は痛みを堪えてりせに頭を下げた。
「頼む、りせ。アイツが来たら引きとめといてくれ。すぐ迎えに行くから」
「うん、それは別に構わないけど…先輩が来て、クマは大人しく帰るかな?」
 りせは陽介ではなく、最後にクマと会った雪子と千枝を見やる。二人はそれぞれ難しそうな顔をした。
「うーん、まだ早いんじゃないかな。クマくんの中で整理できてない感じだったし」
「そうだね。できればもう少し、冷却期間を置いた方がいいかも」
 りせは頷くと、陽介に向き直った。そしていたずらっぽい微笑みを浮かべてみせる。
「クマが来たら、今日はウチに泊めてあげる。直斗くんも来てくれる? お泊り会ってことにすれば、おばあちゃんもあんまり気にしないだろうから」
「はい、じゃあお世話になります」
 完二が頭を掻きながら二人に言う。
「あー、お前らだけで手に負えないようだったら、電話しろや。オレん家に泊まらせるから」
「とかなんとか言っちゃって。ホントはあんたもお泊りしたいんじゃないの?」
「なっ…! りせ、テメー何いい加減なこと…!!」
 きゃあきゃあと騒ぎ始めた後輩たちの声を聞きながら、陽介は半分近く残ったままの弁当箱の蓋を閉じようとした。しかし目敏く孝介に見咎められる。
「陽介。食べないと持たないよ。それ以上細くなったら探索には連れてかないからな」
「…ハイハイ、食べますよ」
 母親からのエールなのか、好物ばかりが詰まっているのに、今日の弁当は何故かあまり美味しく感じられない。陽介は重い箸と口をなんとか動かし、機械的に咀嚼を続けた。




 「アンタさぁ、いい加減帰ったら? 花村先輩も、皆も、すごい心配してるよ」
自室の椅子に座ったりせは、布団の上で正座するクマに説教をしていた。その横では直斗が心配そうに二人の様子を見守っている。
 予想通り、クマは夕方になってマル九の前に現れた。いつもは晴れやかな顔が曇っており、彼の苦悩が伺える。少女の言及に、クマはちいさな声で答えた。
 「…帰れない、クマ。ヨースケは、クマのことなんてもういらないに決まってるクマ。それに、クマ、だいっきらいって言っちゃった…」
クマは泣くことができない。けれども、拙くも懸命に言葉を紡ぐ彼の心は確かに涙を流していた。りせはつられて泣きそうになりながら、クマの前に膝を突いて俯いた顔を覗き込む。
 「花村先輩が、クマのこといらないって言ったの?」
少年はふるふると頭を振る。
「ヨースケも、センセイも、いらないって言ったワケじゃないクマ。でも、センセイがくるとヨースケ、センセイでいっぱいになっちゃう。センセイもヨースケのことしか見てないクマ。クマ、置いてかれちゃう。また、一人ぼっちになっちゃう」
 クマの告白を聞いた直斗が冷静な声で言った。
「エディプス・コンプレックスですね。人間は成長の過程で、父親を始めとする周りのものを排斥して、母親を自分だけのものにしようとする時期がある。…クマくん、それはヒトであれば、誰もが抱えたことのある感情です。花村先輩も、月森先輩も、キミのことをいらないなんて思っているはずはありません」
「…ナオチャン、も? リセチャンも?」
 不純物のないガラス玉のように澄み切った瞳に見つめられ、直斗は頷く。同じく頷いたりせは、タイミングよく点滅を始めた携帯電話をかざし、表示された名前を見せた。
「クマ。花村センパイから電話だよ。出る?」
 しかしクマは力なく拒絶を現した。金糸の髪がぱたぱたと揺れる。りせは溜息を吐き、直斗に場を託して廊下へと出た。
 少し部屋から離れた所で通話ボタンを押すと、受話器の向こうから馴染んだ声が聞こえてきた。
『もしもし。クマ、様子どうだ?』
「んー、もう一息、かも。帰りたいって思ってるみたいだけど、自分はいらないって思い込んじゃってるから、帰れないみたい。ちょっと話はしてみるけど…やっぱり、花村先輩から話をするのが一番いいんじゃないかな」
『…分かった。明日、なんとかして捕まえる。ホントありがとな。迷惑かけるけど、アイツのこと頼むわ。直斗にもよろしく』
 切れた電話を手に戻ると、クマは布団にうつ伏せになっていた。直斗がやさしくプラチナブロンドの髪を撫でてやっている。その表情は女性しか持ちえない慈愛に満ちていて、そんな直斗もきれいだと思った。
 目だけで訪ねてくる彼女に、りせは電話を机の上に置いてから答える。
「明日、なんとかしてコイツのこと捕まえて、話してみるって。…クマ、寝たの?」
直斗は布団を掛けてやりながら頷いた。
「疲れているみたいですね。ちゃんとアルバイトには行っているそうですし。あ、明日は急遽シフトが変更になって、遅番だそうですよ。だからあがる時間に待ち構えていれば、話ができると思います」
「流石、直斗くんだね。花村先輩に教えてあげなきゃ。メールしとくね」
「はい。お願いします」
 一報を打つと、すぐに陽介から返事が返ってきた。今晩の自分達の任務はこれまでということにして、りせは電気を消して布団に潜り込む。
 直斗を部屋に泊めることは初めてではないが、まだ数えるほどでしかなく、彼女が慣れない場所ではすぐに寝られないことにりせは気付いていた。きっとまだ起きているだろうと思い、ちいさな声で名前を呼ぶ。
「ねぇ、直斗くん」
案の定、すぐに返事が返ってくる。寝返りを打ち、友人の方を向いてりせは尋ねた。
「さっきのエディなんとかって難しい言葉。あれってつまり、クマにとっては花村先輩がお母さんで、月森先輩がお父さんってこと?」
「そうです。最初にクマくんと出会ったのは月森先輩と花村先輩だったそうですし、擦り込みでそう思っても不思議ではありません」
 確かに二人は夫婦のように通じ合っている。どちらがどちらの役割かは、りせにはすぐ決められなかったが、クマはリーダーに父性を、参謀に母性を感じたのだろう。
(奥様な花村先輩、ねぇ)
 陽介は女であるりせが悔しくなるほど細い。手足は長く、顔は小さく、肌はつやつやで、顔立ちだってモデルと比べても遜色劣らないくらい整っている。そんな彼がエプロンを纏い、スーツ姿の孝介を見送っている姿を想像してしまい、りせは思わず吹き出しそうになった。
 「まぁ、それもアリ、だよね。花村先輩、世話焼きだし。直斗くんも色々とお世話、焼かれちゃってるでしょ?」
「ええ、まあ…正直、それはどうかと思う時もありますが、助けられてはいます」
 苦さをも含んだ直斗の声に、りせは笑った。彼女は意外と正直だ。つられたのか直斗も笑いだす。密やかな笑みとクマの寝息が、真っ暗な部屋を満たしていった。クマが起きる気配はない。
 どうせまだ寝付けないだろうと、抑えた声で他愛もない話をしながら、りせは明日の朝、あのお節介な先輩がどれだけクマのことを心配しているかもう一度だけ説いてやろうと考えていた。




**********




 ジュネスの裏手にある従業員用玄関から出ると、冷たい風が襲ってきた。服の隙間から侵入してくる冷気に身を竦め、クマは思わず叫ぶ。
「さむっ…!」
 時刻は二十二時を回ったところだった。本当はもう少し早くあがれるはずだったのだが、ちょっとしたトラブルがあり長引いてしまったのだ。
 くう、と腹の虫が情けない音を立て、クマは大きく溜息を吐く。花村家に帰れば、陽介の母親が暖かい夕食を用意してくれるだろう。息子とクマが喧嘩をしているのを知っているはずなのに、彼女は何も言わない。今朝戻った時も当たり前のように迎えてくれた。
 また、仕事中にも陽介の父親がふらりと現れ、陽介の代わりに謝り、これからもよろしくと頼まれてしまった。罪悪感にクマは泣きそうになった。
(ヨースケは、悪くない。でも、クマも悪くない。…どうしたらいいクマ?)
 仲間達の所は一巡してしまった。こんな時間に押し掛けるのも気が引けて、今日はテレビの中に戻ることに決める。
 ポケットから携帯電話を取り出し数日ぶりに電源を入れると、大量の不在着信と未読メールが流れ込んできた。半分くらいは陽介で、残りは仲間達からだ。今見る気にはなれなくて、クマは再び電源を切った。
 辺りは暗く、ひっそりと静まり返っている。ジュネスの看板と正面玄関は煌々と明かりを湛えているが、裏口は暗く、必要最低限の明かりしかない。夜空は厚い雲に覆われていて、月も見えない。テレビの中しか知らなかった時は闇を恐れたことなどないのに、今はとても怖いものに感じた。ぶるり、とクマは身を震わせる。
 (そういえば、最近、トーリマが出るから遅くなる時は気をつけろって言われたクマ)
人が集まるジュネスにいれば、自然と噂話も集まってくる。ここ数週間で、暗闇から手足や衣服を切られる被害が数件起きており、従業員にも注意が呼び掛けられていた。
 自然と早足になりながら店舗入り口を目指していると、急に背後に何かの気配を感じてクマは振り向く。いつの間にか、すぐ後ろに男がいた。そして、その手には冷たい銀色の輝きがあった。
「!!」
驚きの声を上げる間もなく、顔をマスクで覆った男はナイフを振りかざして襲いかかってくる。なんとか最初の一撃を避けたものの、クマは混乱していた。
 相手がシャドウなら容赦はしない。あれは人の心から生まれた闇で、こちらに明確な殺意を持っていて、倒すべきものだと知っている。だが自分を襲ってきたのは人間だ。クマがなりたいと憧れたもので、大好きな陽介や孝介、仲間達と同じものだ。だからシャドウのように倒してはいけないし、傷付けたくはない。人と人が争うこともあるとニュースで見知っていたのに、いざ自分の身に降りかかると、どうしていいか分からなくなってしまった。
 マスクの下で、にたり、と男が笑った。向けられる狂気と害意に体が竦む。やらなければ、やられる。だが、クマには相手を攻撃する理由がない。
(クマ、どうしたらいいの?! 助けて、ヨースケ、センセイ…!)
 躊躇から動きの止まったクマ目掛けて、男が再び刃を構え突進してきた。この至近距離では交わすことができない。せめてもときつく眼を瞑ったクマの耳に入ってきたのは、しかし肉を刺す音ではなく聞き慣れた声だった。
 「――うちのクマに、何すんだよ!!」
目を見開いたクマの前で、陽介の放った彼の鞄が通り魔の頭に直撃する。体が傾いだその隙にクマは走り出し、自分とそう変わらない体格の、けれども、ずっと逞しく感じるに保護者に抱き付いた。
「ヨースケ! ヨースケヨースケヨースケ!!」
「クマ、今は離れてろ!」
 シャドウと対峙する時と同じ鋭い声に、クマは状況を思い出して慌てて体を放す。男は二対一で不利だと悟ったのだろう、踵を返して逃げ出した。
 「! 待ちやがれ!」
後を追おうとした陽介よりも早く動く者がいた。逃走経路を塞ぐ形に立つひとつの影。月のない夜でも仄かに光る銀糸の髪は、この町では彼しか持ちえない色だ。
「センセイ!」
「…うちの子達に、何、してるの?」
 孝介の放つ本気の殺気に、男は本能的に竦み上がる。その隙を見逃さず、彼は容赦なく足払いを掛け、倒れ込んだ体を地面に押しつけた。思わず見惚れるほどの無駄のない動きだ。なんとか逃げようともがく男が黙るよう、頭を強く地面に押しつける。後ろ手に捻った腕に力を込めれば、逃げられないと悟ったのか抵抗が止んだ。
「孝介!!」
「陽介、守衛さんを呼んできてくれ」
「わ、分かった」
 慌てて駆け出した兄と彼とを交互に見やり、どちらに着いてゆくべきか迷っているクマに、孝介はやさしく話しかけた。
 「クマ。ごめん、オレ、陽介のことが特別に好きだから、陽介を独り占めしたかった。でもクマも、みんなも、大切なんだ。お前がいらないなんてことは絶対にない。大切な仲間だし、一緒にいたいと思う。だから、戻ってきてくれないか?」
「………クマ、ここにいて、いいの? 邪魔じゃ、ないの?」
「当たり前だろう」
 力強く肯定され、クマはぐしゃりと顔を歪めた。涙は流れない。けれども、この渦巻く嬉しさや蟠りを吐き出すために人は泣くのだろうと思った。
 暫くして、陽介が数名の人手を連れて戻ってくる。すっかり大人しくなった犯罪者を引き渡した後、事情聴取を受けるためにジュネスの中へ戻ることになった三人は、大人達から少し離れた所を歩いていた。陽介と孝介に挟まれ、クマはもう自分が微塵も不安を感じていないことに気付いた。
(ああ、クマは、ここに帰りたかったのね)
 「…ヨースケ、あのね」
意を決して口を開いたクマに向き直った陽介は――やおら拳骨を振り下ろした。
「いっ…!!」
意識が一瞬飛ぶほどの衝撃に、クマは殴られた場所を手で押さえて抗議する。
「何するのヨースケ?! ひどいクマ!!」
「うるせぇ! どんだけ心配したと思ってんだ?!」
 陽介の拳は震えており、クマを殴った指は赤くなっていた。痛みを想像することが容易にできたが、クマは売り言葉に買い言葉で食ってかかる。
「だって! ヨースケはクマなんてもういらないんでしょ! 邪魔だって思ってるに決まってるクマ!!」
「…誰がいつ、そんなこと言ったんだよ。お前はうちの子になったの! そんなこと気にしないでいればいいの!」
 陽介は足を止めると、ぐしゃぐしゃとクマの頭を乱暴に掻き回した。そしてきゅう、と然程身長の変わらない体を抱き締める。温もりに包まれ、ちいさく聞こえた「ごめんな」という声だけで、クマはすべてが溶けてゆくのを感じた。


 深夜のため音を消したパトカーが、点滅灯を光らせて進入してくる。守衛室の端に居座らせてもらい、クマは陽介と今までの諍いが嘘のようにお喋りをしていた。
「ヨースケ、クマ、お腹減ったクマ! 今日のゴハンは何?」
「今日は煮込みハンバーグだって言ってたな。つかお前のせいでまだ俺も食ってないの。この調子じゃ、いつ帰れることやら」
 深い溜息を吐いた陽介の薄い肩を、孝介が励ますように叩く。
「大丈夫。そんなに時間は取らせないから」
「? おう」
 陽介が頷くのとほぼ同時に、パトカーから足立が下りてくるのが窓から見えた。孝介はあまり人のよくなさそうな笑みを浮かべている。クマにはその微笑みの意味がよく分からなかったが、兄は正しく理解したようで、呆れ顔で呟いた。
 「お前ってホント、悪いやつだよな…」
「オレにそんなこと言うの、陽介だけだよ」
「はは。違いねーや」
 密やかに笑う二人の間には、やはり入り込めない空気がある。割り込んではいけない気がして口を噤んでいると、伸びてきた孝介の手がくしゃりと髪を撫でた。
 「クマ」
顔を上げたら、そこにはやさしく微笑む孝介の顔があった。そのすぐ隣りは穏やかな表情の陽介がいる。二人は決して、クマの存在を否定してはいない。嬉しくなって、クマは立ち上がると、勢いよく二人に抱き付いた。
「うおっ?!」
「クマ?」
「クマ、センセイもヨースケも、大好きクマよ!」

 自分はヒトではない。そんなことはクマ自身が一番よく分かっている。だからいつか、大好きな仲間達と別れなくてはいけない日がくる。それでも、彼らがここにいていいのだと言ってくれたから、許される限り共に在りたいと願った。
(もし、かみさまがいるなら。ずっとずっと、みんなと一緒に、いさせてくださいクマ)
 父母にも等しい、自分を自分たらしめてくれた大切な者のぬくもりを感じながら、クマは初めて神に祈った。



END

PR

comment

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]