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ディラックの海に沈む光輝・5(完結) ※R-18

※R-18
たいっへんお待たせしました、ようやくの更新ですー
前回更新&書いてる最中でも部分部分でかなり時間が空いているので、なんだかテンポが悪くて恐縮です…。後で余力があればみわくの影主×影花×主×花のよんぴーも書きたいです。ていうかほんとはこのえろしーんもよんぴーにしようかと思ったのですが、まじめストーリーのバランスが崩れそうなので切り出すことにしました。
自分的に心えぐる言葉をいっぱい使ったので、もうHPがゼロです…。うっうっ しあわせらぶらぶがだいすきなので お付き合いくださったみなさま、どうもありがとうございました!
このシリーズの長編はあと2つ構想が残っていて、次は「ともしびを高く掲げて」(2月・センセイが行方不明になる話)、「楽園まで」(三年生の5月、GWに稲羽に帰ってきたセンセイと、特捜を襲うペルソナ能力露呈の危機)です。どこまで書けるかな!


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 どこをどう走ったのか陽介には分からなかったが、気が付いたら堂島家の前にいた。
 スサノオの肩から降ろされ、自らの足で地面に立つが、靴裏と接しているはずのアスファルトの感触すらよく分からない。襲ってきた眩暈に呆気なく敗北して姿勢を崩すと、慌ててスサノオが腕を掴む。おかげで地面とキスすることは免れた。
「ほら、しゃんとしろって」
呆れと気遣いを含んだ声と共に、あたたかな癒しの力が降り注ぐ。疲労と、足立とやりあった時の痛みがすうと引いてゆき、陽介は目を閉じて細胞が活性化してゆく感覚を享受した。やがて光が消えた後、躊躇いがちにスサノオが首に触れる。
「…痕までは、消えねーか」
オレンジ色の眼鏡以外は鏡に映したかのような彼の表情は、世界を覆う霧のように曇っていた。それほど酷い鬱血になっているのだろうか。恐らく中で待っているであろう、恋人とその影に見られた時のことを考え、陽介は青くなる。彼らはいささか自分に対して過保護だ。制服のボタンを全て飛ばし、明らかに人間の指の形に赤黒くなった皮膚を見逃してくれる訳はない。洗い浚い吐かされるのが目に見えている。いくら未遂とはいえ、恋人以外の男に肌を暴かれ、犯されそうになったことなど話したくはなかった。
 首に掛けたヘッドフォンを調整して、なんとか襟元を隠そうとしていると、陽介の思考を読んだスサノオが呆れ顔になる。
「余計不自然だろ。別にやましいことはないんだから堂々としてろよ。つか、お前、ひでー顔。…分かるけどさ。あいつに心配かけたくねぇなら、意地でも笑っとけ」
こつり、と額を合わせて彼が言う。全てを見透かす金色の目に、陽介はただ頷くことしかできなかった。今は分かたれているが、彼は己の心の一部であり、臍の緒のように魂が繋がっている。心の揺れなどとうにお見通しだということだ。心はそう簡単に晴れないが、自分と全く同じ外見の者に慰められているのがなんだかおかしくなり、陽介はくすりと笑った。対照的にスサノオは不貞腐れた顔になる。
「んだよ。お前、失礼な奴だな」
「悪ぃ、何か変な感じでさ。ありがとな、助けてくれて」
体を放し、玄関に手を掛けようとしていたスサノオは、首だけを後ろに巡らせてちいさく呟く。
「…別に。お前が死んだら、俺も無意識の海に戻らなきゃいけねーからな。利害の一致ってやつだ」
「でも、助かったよ。サンキュ」
薄い背中に重ねて声を掛けると、スサノオは怒ったように勢いよく扉を開ける。よく見ると耳がほんのりと赤く染まっていて、陽介はまたこっそりと笑みを漏らした。
「ああもう!入んぞ!!」
 テレビの中の堂島家は薄暗かった。スサノオに続いて玄関に足を踏み入れると、どたどたと二つの足音が響いてくる。靴を脱ごうと屈んだ陽介だったが、ふいに上半身を持ち上げるかのように抱き締められ、思わず変な声を出してしまった。
「おわっ?!」
「陽介!!」
力強い腕と、生きている人間の体温。そして、愛してやまない涼やかな声色。孝介だ。彼は子供のようにぎゅうぎゅうと陽介を抱き締め、囁く。
「……よかった、無事で…」
その声は熱く、心からの安堵が滲んでいた。心配を掛けたことが申し訳なくて、彼の元に戻ってこられたことが嬉しくて、陽介は脱ぎかけの靴はそのままに、そっと自分よりも逞しい背中に腕を回す。
「その、ごめんな。スサノオが助けてくれたおかげで、無事だから」
「ん…」
孝介は腕の力を緩めると、横でつまらなさそうにしているスサノオに「ありがとう」と頭を下げた。スサノオは先程と同じように「別に」と興味がなさそうなふりをして、靴を脱ぎ散らかし早々に上がる。彼に続こうと陽介は相棒の背中を軽く叩いて離れるよう促した。体を引きかけた孝介だったが、彼が息を呑んだ気配を感じ、陽介は諦めの息を吐く。
「陽介…?!」
「あー…その、ちょっとシャドウにやられかけて」
 「――嘘を言うな。それはどう見ても、人間の指の痕だ。それに、ボタンを強い力で引き千切られた形跡がある」
孝介の後に佇んでいたイザナギが、怒りを孕んだ冷たい声で言う。言い逃れに失敗し、陽介は諸手を上げて降参の意を示した。
「わーった!ちゃんと話すから。とりあえず落ち着かせてくれよ」
「…オレの部屋に行こう」
大きな手に背中を押され、前をイザナギに、後ろを孝介に挟まれて、陽介は二階に連行された。、カーテンから覗く空が気が狂いそうな血の色でなければ、同じ顔をしたもう一人の自分がいなければ、テレビの中だとは思えないほど、彼の部屋は現実をそのまま映している。スサノオは既に勝手知ったるなんとやらで、いつも陽介がそうしているようにソファに寝そべり寛いでいた。その悠悠自適ぶりが羨ましかった。
(ちくしょう、コイツ、俺の影のくせになんでそんなに自由なんだよ)
スサノオは主を一瞥して猫のように口の端を吊り上げる。
「ま、精々絞られるんだな」
「ひとごとだと思って…」
噛み付きかけた陽介を、孝介が有無を言わさずカーペットの上に座らせる。次いでご丁寧に蓋を開けたリボンシトロンのペットボトルを渡され、陽介は大人しくそれを受け取り、口に含んだ。じわり、と炭酸の刺激と甘さが体に染み込んでゆく。ひと息に半分ほどを飲み干し、もう十分とローテーブルの上に置くと、待ち構えていたように孝介が口を開いた。
 「陽介。今、テレビの中にいる人間は、お前とオレの他にはもう一人しかいないはずだ。…足立、に、やられたのか?」
「…っ」
先回りして結論を導き出してしまった恋人の聡さに陽介は言葉を失う。否定することもできるが、それでは彼に嘘を吐くことになるし、何より自分は隠し事が得意ではない。言及されればすぐにばれるだろう。陽介は言い逃れを諦め、大人しく首を縦に振った。途端に孝介の顔色が変わる。レンズの下で、誰もを惹きつける深い色をたたえた瞳の奥底に、燃え滾るような憤怒が生まれるのを陽介は見た。その苛烈さに、発せられる威圧感に、無意識に体が竦む。けれども、決して逃げてはいけないことは分かっているから、陽介は彼の隣りから動かなかった。
「………オレ、今まで、足立のこと、きちんと敵として認識できてなかった」
硬質な声が部屋の空気を、陽介の心を打ち据える。孝介の瞳が一瞬、金色に輝いたような気がした。彼は不気味なほど静かに続ける。
「菜々子の心臓が止まった時、犯人を殺してやりたいほど憎く思ったのに、いざ人間相手に剣を向けるとなると躊躇してしまう自分がいて。事件を追うってことは、犯人を捕まえるってことは、きっといつかは対峙するって分かってたのに、命の取り合いをするとまでは考えてなかったんだ。甘いよな。あいつはもう、二人も人を手に掛けていて、生田目を唆して皆を危険な目に遭わせて、遼太郎さんと、菜々子、まで」
「孝介、もういい」
陽介は孝介の肩を掴み、独白を止めさせようとした。彼自身を追い詰めるようなことを言わせたくなかったのだ。けれども孝介は止めない。
「なのに、陽介にまで、なんて。オレからこれ以上、大切な人を奪うだなんて、絶対に許さない。――もう迷う必要なんてない、あいつは、敵だ」
 孝介は忌々しげな顔で、けれども慈しむように陽介の首の痕を指で辿る。スサノオが癒してくれたおかげで痛みはもう殆どない。残っているのは足立に投げ付けられた心ない言葉の数々と、殺されかけ、犯されかけたという忌々しい記憶だけだ。

 『よかったねぇ、たまたま彼がいて、たまたま彼のオトモダチにさせてもらって。相棒とか呼んでいい気になってるみたいだけど、きっとそう思ってるのは君だけだから。見てて痛々しいったらないよね』

 (っ…!)
不意に足立の声が耳の奥に蘇る。彼の言葉は毒のようで、魔の手から逃れた今もじわじわと広がり、全身を汚しつつあった。陽介は必死に頭を振って、侮蔑と憐れみの混在した声を思考から追い払う。
(違う、孝介も俺のこと相棒だって認めてくれてる!何もかも諦めて、勝手に歪んじまったアンタに何が分かるってんだよ!!)
「陽介?」
「や、なんでも、ない。ヘーキ」
にこり、と笑みを浮かべて見せるが、孝介は余計に表情を厳しくしてしまった。彼は逡巡の後、静かに尋ねてくる。
「陽介。足立に、何かされたのか。それとも何か言われたのか」

 『っていうかさ、周りにもそこそこ可愛い子、いっぱいいるのに、どうして男同士なワケ?そこまでして彼を自分の手元に縛り付けておきたかったのかい?だって独りは寂しいもんねぇ。かわいそうに』

 「………ごめん、言いたくない。でもほんと、大丈夫だから。な?」
再び聞こえた嘲りに、陽介はこれ以上聞いてくれるなと拒絶する。ボタンが一つもなくなった学ラン、首には締められた痣を残し、あちこちに乱された痕跡の残る体を前に、詮索するなと言う方が無理だろう。ましてや二人は恋人同士だ、陽介が逆の立場だったら言及せずにはいられない。それでも、孝介は陽介のために、堪えてくれた。眉根を苦しそうに寄せ、奥歯を噛み締めて、彼が必死に己を律しているのが分かる。
(ごめん)
陽介は心の中で幾度も孝介に謝った。足立に投げ付けられた綺羅星を落とすような酷い言葉の数々は、音にすれば再び陽介を苛み、孝介をも汚す。だから口にしたくなかった。これ以上の痛みを得るのも、孝介に与えるのも嫌だった。
 しかし、心に打ち込まれた楔が抜けることはない。生じた亀裂からはしる苦痛に、疑念に、陽介は徐々に蝕まれてゆく。幾度も確かめ合い、誰よりも信じているはずなのに、あの声が陽介を揺らがせる。自分を「特別」にしてくれたのは憐れみからなのではないか、友情も、恋すらも独りよがりなのではないか。足立の言うように、陽介は孤独を埋めるために孝介を利用しているのではないか。
(そうじゃない、そんなはず、ない)
孝介のことが好きだ。愛してる、と言っていい。それ以上の思慕を表す言葉を陽介は知らない。彼も同じ想いを、言葉を返してくれているけれども、恐れと不安は常に陽介に着き纏っている。孝介のように皆から慕われ、愛され、何でもできる男が、自分などと付き合っていていいのか。彼が聖人でも神でもなく、能力は飛び抜けて高いものの、自分と同じ高校生でしかなく、悩みも怯えもすることを陽介は知っている。人はそれぞれ個性も能力も役割も違う。比べることに意味などないが、彼には勝てない、と思う。上辺だけの付き合いしかできず、心の中で人を見下すことでしか自己を守れなかった自分。誰とも真摯に向き合い好かれる孝介。己に自信がが持てない陽介は、孝介に相応しい人間であると胸を張ることができない。

 『親や友達が知ったらどう思うかなぁ。月森孝介くんと花村陽介くんは、親友のフリをしながらセックスする行きすぎた間柄ですって!』

 頭ががんがんする。あの男はもういないのに、声が消えない。
 彼に「特別」にしてもらえて本当に嬉しかった。たった一人でいい、自分が想うのと同じ強さで想い返してくれる人が欲しかったから。ずっとずっと空いていた胸の隙間を、望んだ以上の形で孝介は埋めてくれたけれども、彼が大事だからこそ陽介は苦悩する。自分と、男同士で付き合うことは、倫理的に道を外れている。汚いものを見るような足立の視線を思い出し、陽介は身震いした。あれが自分の両親だったら、菜々子や堂島、仲間達だったらと考えると、呼吸すら上手くできなくなる。彼のことを本当に大切ならば、彼から離れるべきなのかもしれない。陽介は爪が掌に食い込むほど強く拳を握った。
(こわい)
繋いだ手を離すことができるだろうか。一人に戻ることができるだろうか。きっと今孝介を失ったら、陽介は息の仕方さえ分からなくなってしまう。それくらい、陽介の世界を占める恋人の割合は大きくなっていた。足立の言葉が毒のように陽介を冒してゆき、恐怖を増幅させる。稲羽を覆う霧のように道を見失わせる。光すら見えない。ぞわり、と狂気がざわめきながら増してゆく。陽介の心が乱れ、影の力が強まったのだ。異変を察知した孝介が慌てて陽介に触れようとしたが、それよりもスサノオが動く方が早かった。
 「――あーあ。まだるっこしくて見てらんねーよ」
その瞳は金色に爛々と輝いている。彼は陽介の前に立ち、無様な主を見下ろした。
「そうやってなんでもかんでも予防線張って、疑っておきゃ、傷付くのが少なくて済むと思ってんのか?進歩ねぇな、俺」
「っ…!」
もう一人の自分に隠し事などできはしない。真実を突かれ、異様な商店街の小西酒店で今は亡き先輩の影と対峙した時と同じ痛みと羞恥に、陽介は顔を赤らめた。宿主に冷笑を向けスサノオは更に続ける。
「思いあがんなよ。お前が自分の弱さから目を背けずにいられるうちは、俺はお前の鎧となり剣となる。けど、目を逸らすんなら。逃げんなら。お前に俺を使う資格はねーよ。殺してなり替わることだってできんだぜ?」
スサノオから漏れ出す殺気に、陽介は影の言葉が脅しではないことを知った。体が本能的に危険を感じ取り、冷や汗が滲み出る。しかし、頭は意外にも冷静だった。スサノオの鋭い言霊が、却って陽介を冷静にさせてくれる。心の中に一陣の風が吹き、霧を、汚泥を吹き飛ばす。ちかり、と光が瞬いた気がした。
 (そうだ。目を背けたって、何にも変わりはしねぇ)
ジュネスの御曹司という自分ではどうすることもできない環境から、早紀の残像から、孝介から、何より自分自身から。一度はどれからも逃げようとしたが、結局何も変わりはしなかった。現実はそんなに甘くはない。足立の哄笑にもう陽介は惑わされなかった。
(だって、好きなんだ。どうしようもねーだろ!)
こんな恋はもう二度としないだろう。穏やかで、でも激しくて、相手の全てを欲し、自分の全てを与えたいと思えるような恋は。親友も相棒も恋人も、垣根を超えて彼の「たった一人」でありたい。足立に言われたように、彼に依存し、縋っているのかもしれない、でもそれが全てではない。綺麗も汚いも併せ持って、自分は孝介を愛している。
「陽介」
銀灰の瞳が自分を、自分だけを見ている。大丈夫だと笑みを浮かべ、陽介は頷いて見せた。
 つい、と顔を上げ、もう一人の自分と視線を合わせる。手探りで孝介の手を握り、その温度を確かめながら、陽介ははっきりと口にした。
「認めるよ。俺は弱い。いっつも怖がってる。こいつの傍にいていいのか、吊り合わないんじゃないのかって。でも、すきなんだ。辛くたって苦しくたって格好悪くたって傍にいたいんだ」
見つめ合い、触れ合い、情を交わす度に想いが募る。際限なく好きになる。永遠には一緒にいられないかもしれない、けれども、見えない未来に怯え手を放すよりも、今を一緒に歩くことを陽介は選んだ。そのための努力も痛みも厭わない。
 金とヘーゼルの瞳がかち合う。しばしの沈黙の後、ふ、と空気を緩めたのはスサノオだった。影は呆れたように笑う。
「お前、ほんっと、コイツのこと好きなのな」
「わ、悪いかよ」
「いーや。…んじゃ、大事な大事な恋人に、心配かけさせたままにしとく訳にもいかねーよな?ほら、今度はイザナギが暴走しそうだぜ」
 茶化したスサノオの背後にはイザナギがいる。部屋に入って来た時から彼は窓を背にして凭れかかり、黙っていたが、その瞳はスサノオに負けないほどぎらぎらと輝いていた。陽介は慌てて横の恋人を見る。
「孝介」
「あー…ごめん、抑えきれてなかったみたいだ。やりにくいな」
彼はばつがわるそうに俯き、溜息を吐く。完璧でない彼が、本音を押し殺しても陽介の意思をを尊重しようとしてくれた彼が、どうしようもなくいとおしくなって、陽介はギャラリーがいることも忘れ彼の額にキスをした。ひゅう、とスサノオが茶化すように口笛を吹いた。
「んじゃ、後はごゆっくり。俺達は俺達で楽しませてもらうぜ」
ハニーブラウンを揺らし、スサノオはイザナギの手を引いて部屋を出てゆく。足音は聞こえなかったが、二人の気配が遠くなった。
 「…俺達で楽しませてもらうっ、…て!」
スサノオの指す内容に気付いた陽介は、顔を真っ赤にして立ち上がる。今夜は狂乱の夜だと、興奮していると彼らは言っていた。イザナギは陽介を求め、スサノオは孝介を求めた。彼らがすることは恐らく一つしかない。しかし今更後を追うこともできず、追い付いた所でもし自分達と全く同じ姿形をした二人の行為の最中に出くわしてしまったら、どう反応していいか分からない。固まってしまった陽介の腕を、孝介が苦笑しながら引っ張った。体勢を崩し、陽介は恋人の腕の中に倒れ込む。
「おわっ」
「そっとしておこう。陽介が見たり見られたりしながらセックスしたいって言うなら話は別だけど。…ああ、公開プレイ、してくれるんだったよね」
「いや、しないから!忘れて!」
暴れる陽介を易々と、とはいかないまでも押さえ付け、孝介は笑う。宥めるように背中を撫でてくれる手はどこまでもやさしくて、陽介はやはり離れることなどできはしないと改めて思った。抵抗を止め、自ら彼の首に腕を回し、密着する。お互いシャツしか身に付けていない胸がぴたりと重なり、布地一枚ですら邪魔に思えた。もっと確かに彼を感じたい。足立の不快な感触を孝介で塗り替えて欲しい。首筋に埋めていた顔を上げると、そこには情欲に濡れた銀の瞳があった。ぞくぞくとした期待が全身を駆け抜ける。このまますぐにでも抱き合いたいが、その前にすべきことがある。陽介は恋人の頬を両手で包み込み、ひたと視線を合わせて囁いた。眼鏡が邪魔だったが、外してしまうと彼の顔すらよく見えないから我慢するしかない。
 「あのさ。やっぱ、聞いてもらっていいかな?」
「うん。教えて、欲しい」
孝介は泣き笑いの表情で頷く。決して急かさず、静かに言葉を待つ孝介に、陽介はゆっくりと彼と離れてからのことを話した。スサノオのと逃避行の最中に、空間の歪みのような穴に落ちたこと。気が付いたら禍津稲羽市にいたこと。逃げ回るうちに偶然足立と会い、なりゆきで同じ場所に身を潜める羽目になったこと。陽介の主観だが、彼が菜々子と堂島を案じていたであろうこと。そしてそれを伝えたせいで彼を激昂させてしまい、殺されかけたこと。すんでのところでスサノオが助けてくれたこと。
「…そう、か」
 聞き終えた孝介は、ただただ相槌を打つだけだった。彼に一つだけ陽介は言わなかった事実がある。関係を見抜かれ、犯されかけたことだ。足立を庇う訳ではないが、これだけはどうしても口にしたくなかった。どうしてだろうと考え、やがて陽介は答えを見出す。
(憎んで、ほしくねーんだ)
陽介は足立が憎い。それこそ、自らの手で裁きを下してやりたいほどに。彼は早紀の仇、仲間達を危険に曝し、堂島や菜々子を酷く傷付け、孝介を苦しめた。少女の心臓が拍動をやめた日、孝介は激情に突き動かされる陽介を止めたが、彼とて同じ憎悪を覚えていたことを陽介は知っている。彼は聖人君主ではない、大切な者達を傷付けられて黙っていられる性質ではない。きっと陽介がありのままを告げれば、孝介は更に足立への憎しみを育ててしまう。暗い色に瞳を染める恋人を、陽介はもう見たくなかった。
 それに、足立に自分達の関係が知れた所で、彼は外の世界でも一連の事件の容疑者として指名手配されている。もう彼の言葉を信じる者はなく、世間に露呈する心配はないといういやに現実的な判断もあった。
(大丈夫)
陽介は静かな怒りを溜めている孝介にそっと口付ける。彼の目が陽介を見た。自分がここにいるのに、他に心を向けるだなんて許さない。その激情が伝わったのか、孝介は大きく息を吐き、今度は彼から陽介にキスをした。唇が重なり、ゆっくりと離れる。
「陽介。しつこいけど、本当に何もされてないんだな?」
「ああ。何なら確認してみるか?」
口の端を吊り上げて陽介は笑う。その艶やかな笑みがスサノオが浮かべたものと酷似していることを本人は知らないが、孝介は誘いを正しく解釈した。彼の手が陽介の後頭部に伸び、噛み付くように唇を奪われる。いつになく性急で、獣のような激しい口付けに、陽介は翻弄されながらも歓喜した。
「っ、あ…ふっ」
「全部、確かめさせて。自分の目で見て、触らないと納得できない。…ね、陽介。お前がさっき言ってたのと同じこと、オレもいつも考えてるよ。結論まで同じ。恋はやさしいだけでも、綺麗なだけでもないだろ。オレはお前の全部が欲しくてたまらないんだ。今更離すことなんて、できないからな」
何度を愛の囁きを交わしても、幾度抱き合っても、完全には信じ切れない弱い自分。孝介はいつもいつも、先回りして不安を取り除いてくれた。けれども、彼にも弱さがあることを陽介はもう知っている。互いが晴らすことのない不安を感じているというのなら、その恐れごと愛そうと陽介は決めた。
 「陽介。抱かせて」
肉欲の気配を滲ませた掠れた声に、陽介の中で何かが焼き切れた。多分それは、道徳心や体面といった、現実世界で生きてゆくために必要な要素だ。だが律の異なるテレビの中ではつまらないファクターでしかない。陽介は少しだけ体を離すと、見せつけるように上着を、次いで下着ごとズボンを脱ぎ捨て、孝介の前に膝立ちになった。ごくり、と彼の喉が鳴る。自ら肌を曝し、誘うなど、常ならば絶対にしないが、今日は何故だか大胆になれた。
(狂乱の夜、だからかな)
イザナギはひどく欲情していた。恐らく、スサノオもそうなのだろう。自分達のペルソナはきっとすぐ近くで、本能のままに目合い、貪り合っている。今は蝕の力を借りて本体から乖離しているとはいえ、繋がりが切れた訳ではないから、彼らの衝動が響いてきているのかもしれない。そこまで考えて陽介は思考を放棄した。今はとにかく孝介が欲しい。彼の少しかさついた大きな手で擦られ、熱くて硬い隆起で中を滅茶苦茶に突かれたい。陽介は彼の肩に手を突き、眼鏡越しに彼の瞳を覗き込んだ。孝介はとてもうつくしく笑い、言う。
「オレ、まだ怒ってるんだよ。自分で解してみせてよ、そしたら許してあげる。うんと気持ちよくしてあげるから」
「っ…!」
僅かに残る羞恥に陽介は一瞬だけ躊躇するが、すぐに開き直って恋人の上着のポケットに手を伸ばした。そこには数日前の情交で使用したハンドクリームが入っているはずである。震える手で蓋を開けると、中身はもう殆ど残っていなかった。色事には鈍い陽介だが、どうしてか今日はすぐに思い当たる。スサノオが使ったのだ。いくら自分の影とはいえども、そして繋がらなかったとは言っいてても、自分以外が彼に触れたのかと思うと面白くない。どうせならば孝介の記憶も上書きしてやろうと、陽介は右手の指で油脂を全て掬い取った。空になったプラスチックの小さな器はその辺りに放り投げる。
 股を開き、シャツの裾で隠れている菊座に指を這わせる。孝介に抱かれるようになってからも、後ろを使った自慰は一度もしたことがない。少しだけ緊張しながらも、陽介はクリームの滑りを借りて自らの指を一本、中に侵入させた。
「っ、ん」
本来、排泄に使う場所は、いくら行為に慣れても異物感が拭えない。それでもその先に目が眩むほどの快楽があることを知っているから、陽介はいつも恋人がしてくれることを思い出しながら、懸命に解してゆく。拙い指の動きは快感を呼び覚ますには程遠く、孝介が開発した感じる所まで届いていないが、目の前の男の孕みそうなほど熱くねっとりとした視線に肌を焼かれ、いつの間にか陽介の性器は形を変えていた。
「陽介、乳首も勃起してる。やらしい」
孝介が意地悪く微笑みながら、布地越しに双丘の頂を強く抓る。痛みと共に悦びが駆け抜け、陽介は嬌声を上げた。
「ひッ、あっ!」
「ああ、陽介の、またおっきくなった。シャツぐしょぐしょにして押し上げて、やらしい。ね、自分で前も触ってみせてよ」
 孝介はいやに可愛らしく小首を傾げて言う。まるで魔法にかけられたかのように、陽介は首を擡げている自身を左手で握り、上下に擦り始めた。途端に感じる直接的な刺激に思わず腰が落ちそうになるが、必死に耐えて陽介は自慰をする。
「ふ、あ、んッ、あ」
「かわいい声。陽介、すっごい気持ち良さそうな顔してる。淫乱」
言葉で煽り、嫣然と微笑むだけで、彼は何もしてくれない。一度火が点いてしまった体は止まることができなくて、陽介は貪欲に欲を高めた。猛った肉棒からは絶えず先走りが零れ、擦る度にぬちぬちと粘着質な音がした。
「ひっ、あ!あ」
「ほら、前ばっかりで後ろがお留守だよ?手伝ってあげようか」
「!!アっ…!」
孝介は手を伸ばしたかと思うと、既に陽介の指が一本入っている秘部に、容赦なく自身の指を二本突き立てる。そのまま感じる場所を的確に突かれ、陽介は身を捩って喘いだ。
「あああッ!!」
「誰が止めていいって言ったの。続けて」
孝介は抜き差しを続けながら冷たく命じる。その声色にぞくぞくした。銀灰の視線が、とろとろと蜜を零し始めた局部に、だらしなく唾液を零す顔に、生地を押し上げている乳首に注がれる。見下ろした彼の股間は不自然なほど盛り上がっていてた。この浅ましい自分の姿を彼に見られていることに、そして己の痴態に彼が勃起していることにどうしようもなく興奮し、陽介は自らのペニスを扱きながら、突き動かされるようにはしたない言葉を口にする。
「ッ、あ、ダメ、出ちゃ、う!イっちゃう!!やだ、お前の、ほしいのに!」
「もう?早いね。でもダメ」
 せせら笑いながら、孝介胎内から指を引き抜き、陽介を横向きに押し倒す。背後に回った彼は陽介の片足を膝裏から掬い上げ、大きく股を開かせると、完璧に勃ち上がった自身を陽介の中に埋め込んだ。
「ひっ――!!」
がちがちになった太い楔を一息に打ち込まれ、あまりの衝撃に陽介は達してしまいそうになったが、見計らったように伸びてきた孝介の手に根元を堰き止められ叶わなかった。痛みともどかしさに涙が込み上げる。
「い、たぁ!はなし、て」
「まだダメだって言ってるだろ。聞き分けがないな」
背後で笑みの気配がしたかと思うと、男は腰を使い始めた。彼は手加減も気遣いもなく、ただただ本能のままに陽介を蹂躙する。その動きにはいつもの丁重さは微塵もなく、荒い息遣いもあいまってまるで獣のようだった。ゴムも付けていない。陽介はいかに普段が手加減してくれているかを知った。
「あ、う、ッ!ひっ、ああ」
突かれる度に丸出しになったペニスがぶるぶると震える。陽介のものは既に限界を迎えていて、ぱんぱんに張り詰めているが、孝介が解放を許してはくれない。滅茶苦茶ながらも感じる場所を幾度も抉られ、吐き出すことができず溜まっていくばかりの熱に陽介は身悶えた。気持ちよすぎて苦しくて、頭がおかしくなりそうだ。
 「ようすけ」
戯れに耳朶を食まれ、ぬめった舌が耳穴に差し込まれる。下肢を苛まれ、最も敏感な性器を握られ、弱い耳まで玩ばれて、陽介は完全に孝介に支配されていた。彼に屈服させられている。自分は男で、女のように扱われるのが何よりも嫌だったはずなのに、相反する悦びを覚えてしまっている。自分のちっぽけな矜持なんてもうどうでもいい。孝介を求め、求められたい。心のキャパシティを表すことができるなら、今の陽介は孝介への想いではち切れる寸前だ。
 足立の感触などとうにどこかへ飛んでしまった。スサノオへの嫉妬も、ここがテレビの中で、今が不安定な状況下であることも、理性の欠片と共に頭の隅に残ってはいるが、ろくに考えられない。陽介は背後から自分を犯す情人に懇願する。
「こお、すけ!も、だめ、イく、イっ、ちゃう!!」
「っ、いい、よ」
ぐ、と信じられないくらい深くまで孝介が侵入してくる。腹を吐き破られたような錯覚を覚え、陽介は一際高い悲鳴を上げた。凄まじい勢いで注がれる彼の熱を直に感じながら、陽介は自らも白濁を吐き出し、達した。

 はぁはぁと荒い息を零していると、陽介の胎内に己を納めたままの孝介が、覆い被さってキスをしてくる。無茶苦茶なキスは、彼の熱がまだ覚めていないことを如実に物語っていた。それは陽介も同じだ。
 体を捩り、なんとか彼の頬に触れ、口付けに応える。夢中で互いの咥内を貪っていると、体の中で孝介のものが再び脈動を始めたのが分かった。
「あ、っ」
思わず声を漏らすと、孝介はにやりと口の端を吊り上げる。彼の瞳が金色に染まったように見えたが、それすらもどうでもいいことだった。狂乱の夜はまだ、終わりそうになかった。





**********




 ゆらゆら、ゆらゆら。波間をたゆたう船に揺られているような感覚に、陽介は目を覚ました。
「……う…」
意識は覚醒している。しかし、何故だか瞼を押し上げることができない。目元を擦ろうとした腕は動かず、陽介は全身が鉛のように重いことにようやく気付いた。まるで自分の体ではないようだ。
「陽介。気が付いた?」
すぐ前から声がする。苦労して目を開けると、そこには見知った背中があった。聞こえてきた声は、自分が間違えるはずもないいとしい人のもので、陽介は自分が彼に背負われていることを知った。
「?!なんで」
慌てて下りようとした陽介だったが、途端に襲い来た眩暈に負け、結果としてより彼に体重を掛けることになってしまう。申し訳なさと恥ずかしさに呻いていると、顔は見えないがばつの悪そうに孝介が説明をしてくれた。
「ごめん、ちょっと無茶しすぎた。陽介が気絶してる間に蝕が終わって、ペルソナも戻って来たし、外にも出られるようになったんだ。もう少しでうちに着くから」
「あ、うん…悪ィ、重いだろ」
「こっちだと流石にな。でも、お前一人くらい支えられるよ。っていうか陽介、相変わらず軽すぎ」
「しょーがないだろ。俺だってもちょっと筋肉ほ、しー…」
会話を続けながらおぼろげだった記憶の糸を手繰った陽介は、意識を失う前の激しすぎる情交を思い出し、顔を真っ赤にした。どうしてあんなに大胆なことができたのか分からない。穴があったら埋まりたい。体が強張ったのが伝わったのか、孝介が苦笑したのが分かった。
「無理させた。ごめんな」
「…や、もう、イイデス…」
 自分とそう身長は変わらないのに、見た目は彼も細身なのに、肉付きの悪い自分とは違い、孝介にはしっかりと筋肉が付いている。ペルソナの加護のない現実世界で、意識の無い人間を一人背負って歩くのは骨が折れるだろうに、その足取りは揺るがない。ちくり、と胸が痛んだが、伝わってくる彼の体温が棘を溶かしてくれた。陽介は頭を振って話題を変える。
「今、何時?」
「十一時過ぎ」
「マジで?!」
頓狂な声を上げると、孝介は「しー」と、菜々子を諌める時のように注意する。陽介は慌てて声のトーンを落とした。
「オレ達、随分長い間、あっちに閉じ込められてたんだな」
「ああ。でも体感的にはもっといた気がするんだけど、月食のせいでいつもと時間の流れが変わってたのかもしれない。皆には無事を伝えてあるし、天城が機転を利かせてくれて、陽介は今日、うちに泊るってことになってるから、家のことは心配しなくていい」
「そっか。サンキュ」
 ゆらゆら、ゆらゆら。陽介は揺られる。辺りは既に真っ暗で、テレビの外の世界は相変わらず不穏な霧に包まれていた。眼鏡をしている自分達は特に不便はないが、一般人には脅威以外の何物でもないだろう。厚い雲に覆われた夜空は、月はおろか僅かな恒星の光すら見えない。それでも、狂気的な血の色の帳よりは遙かに安心できた。
(早く、なんとかしないと)
陽介は恋人の背中で、いたずらに触れてきた男のことを思い出す。自分には孝介がいて、仲間がいて、家族がいる。今は殆ど明りが落ちているが、点在する家々に住む人々も、それぞれ大切な人がいるはずだ。本当に一人ぼっちの人間は、きっとこの狭い田舎町では殆どいない。そして誰もが皆、自分と、自分にとって大事な存在の幸いを願っている。
 けれども、足立は独りだ。狂乱の夜が終わり、再びシャドウ達の王になった彼は、異形に囲まれ何を思うのだろう。彼を案じていた人々を切り捨て、現実から虚構へと逃げ込んだ彼を許すつもりはない。ただ、寂しいと陽介は感じた。
(コドモを、いや、人間をなめんなよ。世の中そんなに捨てたもんじゃないって分からせてやるぜ)
 きゅ、と孝介の首に回した腕に力を込める。甘えたように頭を擦り付けてくる唯一無二の存在の体温に、その確かな手ごたえに、負の海に落ちたはずの星が再び輝き出す。例え、導が見えなくても、道さえなくても。自分達は立ち止まらない、想いで闇を照らし、迷いながらも進んでゆく。
 きらり、と、見えるはずのない星が、瞼の裏で瞬いた。



END

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