忍者ブログ

whole issue

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

冬の死ぬ音、春の生まれる音

雰囲気小説です。3月のお別れと見せかけてプロポーズ。


------------------------------------------

風が温み始め、人々は襟を緩める。暦の上ではもう春になり、山間にある稲羽の町からも冬の気配が消え始めている。
ヌシ様を釣り上げるつもりで鮫川の河原に来た二人は、昨晩までの雨で思ったよりも増水している河に釣りを諦め、河川敷に座ってぼんやりと空を眺めていた。
「なぁ」
「ん?」
「…悪ィ、何でもない」
口を開きかけた陽介は、特に話すべき言葉を持たないことに気付き、頭を振る。孝介は別段気にした様子もなく、行きがけに自動販売機で買ったコーヒーを啜った。

元々、一年間限定の付き合いだった。けれどもその一年は、今まで生きていた17年間のどの年よりも濃密で。いいいことも悪いことも、辛いことも楽しいことも、色々あったけれど、振り返れば宝物のような記憶が山のように残っている。きっとこれから先、この思い出が色褪せてゆくとしても、鮮やかな色を持っていたことを忘れはしないだろう。
けれど、その核がいなくなる。所詮は高校生で、親の庇護を受けて生きている自分たちには、覆すことのできない別れがやってくる。その焦燥を、喪失感を隠し、陽介はいつも通り笑うしかなかった。

「…ヌシ様、釣れなかったな」
ごうごうと川の音がうるさい。適当に口にすると、孝介は神妙に頷いた。
「ああ。お前に釣る所、見せたかったんだけど」
「食べさせられたことはあったけどな…」
しばらく魚が食べられなくなったテレビ内の体験を思い出し、陽介は明後日の方向を見遣った。もうあの霧の世界に行くことはないだろう。こうして、何もかもが思い出になってゆく。今日話したことも――自分のことも。
ぞくり、と背筋に戦慄がはしる。
(いやだ)
ずっと傍にいたい、いてほしい。自分だけが彼の特別でありたい。醜い感情が己の中でとぐろを巻いて、今にも口から出てきそうだ。きつく手を握ることで堪えようとした陽介の手のひらを、孝介は壊れ物を触るかのようにそっと包んだ。
「――陽介。だめだ」
「っ、何がだよ」
「溜め込むな。一人で勝手に結論を出す前に、俺に言え」
その言葉が琴線に触れ、陽介は叫ぶ。
「だって!お前はいなくなるじゃねーか!!いない奴をどうやって頼れってんだよ!電話もメールも…遠い、よ」
触れる暖かな手も、熱い唇も、来月にはないのだ。寂しがる彼を包んでやることももうできない。今生の別れではないと理解しているのに、感情を抑えることができない。さよならの先が見えないから。
気がつけば、ほろほろと涙が頬を伝っていた。拭っても止まるどころか、あとからあとから溢れてくる。歯を食いしばり、懸命に嗚咽を堪える陽介の姿に、孝介は涙こそ流さないものの、泣きそうな顔をしていた。
(ちがう。そんな顔をさせたかった、ワケじゃないのに)
それでも涙は堰を切ったかのように止まらない。孝介はひとつおおきな息を吐くと、陽介の体を強引に抱き寄せた。
「孝介…」
腕に込められた力はとても強く、息が詰まりそうなほどだ。孝介の顔は見えない。だが、苦しそうな声が聞こえてくる。
「ごめん。お前を置いていってごめん。傍にいられなくてごめん。でも俺は我儘だから、お前も、未来も、全部欲しいんだ」
置いてゆく、と孝介の口から言われ、陽介の心臓がつきりと傷んだ。背中に回された腕に更に力が籠る。
「ごめん。一年だけ待ってて。高校を卒業したら…一緒に住もう」
その一言は、陽介の涙を引っ込めるのに十分な効力を持っていた。体の震えが止んだのに気付き、孝介は腕の力を緩める。のろのろと顔を上げれば、そこには泣き笑いの孝介の顔があった。
「東京の大学に進学するんだろ?一年我慢すれば陽介が一生手に入るんだから、俺は我慢するよ」
「い、一生、って…」
「嫁に来いってこと」
予想外の告白を一度に受け、陽介の頭はすでに許容量を超えていた。ただ、孝介と離れなくていいことだけは理解できた。よく分からないままこくこくと頷く様に、孝介は苦笑を隠せない。
「離れ難いのはお前だけじゃないよ。寧ろ俺の方が…ま、いいか。とにかく、ちゃんと勉強してくれよ。浪人してまた一年離れ離れになるなんて気が狂いそうだから」
「あ、当たり前だろ!」
鼻を啜りながら意気込む陽介の瞳に、先程までの焦燥はない。胸の閊えが下りたようで、孝介はようやく笑みを浮かべることができた。
「――家に行こう。日が落ちてくるとやっぱり寒い。それに、少しでも陽介と近くにいたい」

荷物をまとめ、土埃を払って立ち上がる。川は相変わらず轟音を立てて流れている。穏やかな流れに変わる事には、稲羽はもっと春めいてくるだろう。
(ああ、あれは冬の死ぬ音なんだ)
そして春の生まれる音でもある。氷の壁を壊し、流れ込んでくる命の息吹が別れを告げる残酷なものだったとしても、その先の約束を果たすためなら、もたらされる痛みを受け入れよう。

春はすぐそこまで来ていた。



END

PR

comment

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

trackback

この記事にトラックバックする:

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]