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ベクトルBの加速度指向性・5

※陽介女体化(後天)注意
こじれはじめました。どっちが悪いという訳ではないけど、まだ心と体にギャップのある陽介です。
あと2話で終わります。がんばれセンセイ!

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「花村さん、おつかれー。気を付けてね」
「おつかれさまでしたっ」
従業員出入口を出た所で同じ時間帯にシフトに入っていた社員と別れ、陽介は歩き出す。建物の中は空調が聞いていたため、吹き付ける風は余計に冷たく感じた。季節は間もなく冬になろうとしていた。
はぁ、と吐き出した息が白く凝る。女になって基礎体力が落ちたということもあるが、久々のアルバイトはなかなかの疲労感と、同時に充足感を陽介にもたらしてくれた。元々、働くのは好きなのだ。必要以上に自分を卑下するつもりはいが、誰かの役に立つことも、必要とされることも、自分にとっては必要なのだと今では言える。
「――お、花村さん。ホントに今日から復帰したんだ。もう体は大丈夫なの?」
出入口の程近くに設置された、喫煙所とは名ばかりの灰皿が置かれただけの一角では、深夜番の幾人かが寒そうに肩を竦めながら煙草を吸っていた。顔見知りの若い社員に声を掛けられ陽介は笑顔で応じる。
「はい、もうすっかり。ご迷惑おかけしてスミマセン」
「いいって。君ちょっと働きすぎだったもん。でも痩せたんじゃないの?無理しちゃいけないよ。っていうか、こんな時間に女の子が一人で帰るの危なくない?」
三十を少し過ぎた彼は社員で、陽介のことを子供扱いしつつも可愛がってくれている。店長の息子――今は娘になってしまったが――である陽介に対して、八十稲羽に昔から住んでいて商店街に関わりのある者からの風当たりは強いが、オープンに合わせてジュネス本部から派遣されてきた社員や、移り住んで来てから日の浅い者達は総じて優しかった。彼や、彼の妻であるパートの女性にも幾度となく世話になっている。男の時はされることのなかった類の心配をされると複雑な気分になるが、心からの気遣いを感じ、陽介は「大丈夫です」と答えた。タイミングよく道の向こうから現れた自転車のライトと、闇夜にうっすらと浮かび上がるシルバーグレイを認め、彼はにやりと笑う。
「お、いつぞやのイケメン。なるほどー、そういうことね。じゃ、気を付けて」
「お先に失礼します。酒井さんもあんまり吸いすぎると奥さんに怒られますよ」
陽介はその場にいた他の者にも会釈をすると、くるりと踵を返して小走りに駆け出す。歩調に合わせてファーの付いたフードが可愛らしくぱたぱたと揺れた。少し離れた所で自転車を降りて待っていた孝介は、まっすぐに駆け寄ってきな彼女を見て表情を和らげる。それだけで寒さも少し和らいだように陽介には感じた。
「おつかれ」
「お前もおつかれさん。つか、わざわざ来てくれなくても良かったのに。遠回りだろ」
孝介は病院の清掃アルバイトを終えた足で陽介を迎えに来ていたが、ジュネスと堂島家はだいぶ離れているため、寄ればそれだけ帰りが遅くなる。いくら孝介が規格外の体力を持っていたとしても、彼とて人間だ。あれだけ多忙な日々を送っていて疲労を感じないはずがないと、陽介はいつも心配していた。
口でとは裏腹に陽介の表情は嬉しさを隠しきれずに緩んでいて、その分かりやすさに孝介は隣を歩く彼女に分からぬよう笑みを漏らした。宵闇で表情は見えないはずなのに、陽介は鋭く空気を感じ取って唇を尖らせる。
「む、お前、今笑っただろ!失礼だぞ!」
「ごめんごめん、だって陽介がかわいいから」
本心からの笑みを見せれば、陽介はふい、と視線を反らして恥ずかしそうに言う。
「だから、かわいいとか言うなっての…」
性別が転換する前から、孝介は頻繁にではないが陽介のことを「可愛い」と表現していた。以前は嬉しさよりも男としてのプライドが刺激されて複雑な気分になったが、今は素直に喜びを感じる。女になってからというもの、内面の変化に陽介自身も驚くことが多々あった。
(脳が女性化?してるって直斗が言ってたっけ)
頭の良い後輩が色々と注釈を付けて教えてくれたが、陽介にはいまいちよく分からなかった。理解できたのは、自分が感覚的なものではなく、精神的にも肉体的にも完全な女になりつつあるということだ。ぶるり、と寒さだけではない寒気に陽介は体を震わせた。
(こわい)
自分が自分でなくなってゆく感触。こうしている間にも、世界は自分を淘汰しようとしている。いつ存在が消されてしまうかもしれない恐怖に怯えつつも、時間を止める術など持たない陽介は流されるまま進むしかない。震えを寒さのせいと取ったのか、孝介が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「?陽介、寒い?やっぱり久々のバイト、疲れたんじゃないか?」
「…んーん、ヘイキ。行こうぜ」
にこり、と笑みを作って陽介は歩き出す。孝介はまだ何か言いたそうにしていたが、黙って自転車を引いて横に並んだ。
二人乗りをすればあっという間に家に着くが、話をしたくてわざとゆっくり歩いて帰る。冷たい風は先程よりは気にならない。すぐ傍らに温もりがあるおかげだろう。
「バイト、どうなってた?」
陽介は都会では決して見られないほど澄み渡った夜空を見上げたまま答える。
「親父の言ってた通り、体壊して長期休みってことになってた。やっぱり皆、俺のこと最初っから女だって思ってるみてーだ」
ジュネス八十稲羽店店長の息子である花村陽介は、もうどこにも存在しない。自分が今までやってきたことを全て反故にされたようで、陽介は言い表しようのない無力化と喪失感を感じていた。世界に排斥されてしまったかのような感覚。女の体に馴染めば馴染むほど、焦燥は加速度的に増してゆく。このままでいいのか、と。
(だって、元には戻れねーし、仕方ないんだ)
「そうか。…無理、するなよ」
ぽん、と温かい手が頭に乗せられ、じわり、と涙が滲んだ。けれども弱い所を見られたくなくて、心配をかけたくなくて、陽介は無理に笑顔を作る。
「サンキュ!けど大丈夫だって、お前ちょっと心配しすぎだ」
しかし孝介は安堵するどころか、明らかな顰め面になる。
「陽介の大丈夫は大抵の場合信用できないって、前に言わなかったっけ」
「んだよそれ、ひでーな」
唇を尖らせてみせると、孝介は苦しそうな顔で、声で告げた。
「酷くない。――心配くらい、させてくれ」
真摯な声に歩みが止まる。仄かな月明かりの下、二人は暫し無言で向き合っていた。言葉を探す陽介に、孝介はゆっくりと言い聞かせるように話す。
「明日も、明後日も、遅くなる日は迎えに来るよ。後でシフト教えて」
陽介は慌てて頭を振る。
「いや、いいって。気持ちはありがたいけどさ、お前だって毎日夜のバイトある訳じゃないだろ。家のこともあるし、菜々子ちゃんも堂島さんも心配する」
「でも」
尚も言い募ろうとする孝介の姿に、陽介の中で鬱積していたものが一気に沸焚した。
「…なんか、ヤなんだよ!お前が迎えに来てくれるのって、俺が女だからだろ!?男の時はそんなこと言わなかった!」
(ダメだ、何言ってるんだろ、俺)
これ以上口にしてはいけない、と理性が警鐘を鳴らしているのに、口はまるで別の生き物のように止まってはくれない。
「俺、女になればお前とずっと一緒にいられるって、しあわせになれるって思ってた!でもやっぱり何か違うんだよ!!どんなにがんばったって俺、女じゃねーもん!なのに周りも、お前も、俺のこと女扱いすんのかよッ」
言葉が空気を震わせた瞬間、陽介は自分の抱えていた靄が何であるかを理解した。自分は孝介には、孝介にだけは女扱いされたくなかったのだ。
どんなに好き合っていても、男同士である以上いつかは別れなくてはならない日がくる。明確な選択肢を突き付けられた訳ではなかったが、陽介はあの時、女であることを選んだ。その代償として今、体と心のギャップに苦しんでいるが、自ら下した決断なのだから受け入れなくてはならない。がさつだと陰口を叩かれることも、自分を曲げ女らしく振る舞うことも、小さく弱くなった体で生きることも。
諦めなのか順応なのか時が過ぎるにつれて分からなくなってきているが、徐々に女であることを受け入れてはいるものの、自分を変えつつ日々を暮らすことはひどく精神を摩耗させる。孝介との距離は近付いた部分もあれば、離れた所もある。トータルすると自分の選択が正しかったのか自信が持てなくなってくる。脆くなってゆく心が崩れずにいられたのは、仲間達が、孝介が、本当の自分を知っていて、前と同じように接してくれていたからだ。だが、今の孝介は明らかに自分を「女」として扱っている。肉体的に女性の方が弱いのは事実であり、基本的にフェミニストの孝介が心配するのは特別なことではないと分かっているが、完璧に血が上ってしまった頭では納得できなかった。女になりたいと願っておきながら、女として見られることを嫌がる矛盾に自分でもおかしくなる。
陽介の理不尽な糾弾を、孝介は何も言わずに受け止めた。その眉は苦しそうに顰められ、銀灰の瞳は悲しみの色を湛えている。居た堪れなくなり陽介は駆け出した。
「!陽介っ」
慌てた孝介の声が聞こえたが、陽介は振り向かずにただただ家へと走り続ける。目からは涙腺が壊れてしまったかのように、ぼろぼろと涙が溢れて止まらない。
(追って来んな、頼むから!)
。孝介は悪くない、自分の中で昇華するべき葛藤だったのに、彼に八つ当たりをしてしまった。合わせる顔がない。嗚咽が漏れないよう、ぎり、と歯を食いしばって陽介は逃げ続ける。程無くして見えてきた家の明かりがこれほど安堵をもたらしてくれたことはなかった。
暖かな家の中に身を滑り込ませ、荒々しく玄関のドアを閉めると、陽介は一目散に自室へと駆け込んだ。物音を聞き付け母親が心配そうに声を掛けてきたが、「なんでもねーよ!」と怒鳴ることしかできなかった。ベッドに倒れ込み、堪え切れなくなった嗚咽を枕に顔を押しつけることで必死に殺す。ようやく涙が納まってきた頃、放り投げた鞄の中で携帯電話が震えた。きっと孝介からだ。
(そっとしといてくれよ、今は)
無視を決め込んだが、向こうも意地になっているのか着信パターンのバイブレーションは時折切れながらも鳴り続ける。数分間、無言の戦いを繰り広げた後、諦めたかのように振動は止まった。のろのろと体を起こして着替えようとした陽介だったが、今度はドアをノックされしぶしぶ返事をする。
「陽介、起きてるクマ?チエチャンから電話クマよ。ヨースケ出ないからってクマにかかってきたの」
「…ん。出る」
正直、今は誰とも話したくなかったが、クマ経由でも連絡を取りたいということは急ぎの用事なのだろう。さもなければ孝介の差し金だ。扉を開けると、余程酷い顔をしていたのかクマが驚いたように陽介を見た。しかし彼は何も言わずに陽介が買い与えた携帯電話を手渡し、「終わったら返すクマよ」と言い残して自室へと戻ってゆく。弟のようなクマにさえ気遣いをされている自分が酷く情けなくて、陽介は自虐の笑みを浮かべた。
「――もしもし」
『あ、花村。夜分にゴメンね。あのさ、明日の特訓なんだけど――』
千枝が言葉を言い終わる前に、陽介は遮るように言う。
「もう、いいよ」
『ハァ?何言ってんの?』
彼女の声色には呆れと憤慨が混じっていたが、陽介は先程と同じように突き動かされるままに告げる。
「もういんだよ!俺、やっぱどんなにがんばったって、女になりきれねーよ!!…もう、訳分、かんねぇ…ッ」
嗚咽交りの陽介の声に、千枝が受話器の向こうで慌て出す。
『!ちょ、どうしたのよアンタ、泣いてんの?何があったの?!』
話すべきか、話さないべきか、陽介は少し悩んだ。問題は自分の内面にあって、彼女らに相談しても負担をかけるだけだ。第一、まだ自分の中でも整理しきれておらず、人に話せる状況ではない。口籠る陽介に、千枝は小さく溜息を吐く。
『あのさぁ。アンタっていっつも変な所で気ィ使ってるけど、友達が悩んでるのに話してもらえないっていうのも結構堪えるんだからね?話してるうちに考えがまとまることもあるし、スッキリするだろうから、出しちゃいなよ』
千枝の言葉が夕暮れの教室で聞いた一条の台詞と重なる。自分は一人ではない、彼らの温かさに背中を押され、陽介はおずおずと口を開いた。
「あの、さ――…」




**********




翌日、登校して早々、孝介は雪子と千枝によって屋上へ呼び出された。
「おはよう、里中、天城。陽介は?」
いつもの待ち合わせの場所に陽介は来なかった。電話もメールも一向に応えはない。開口一番、恋人のことを尋ねてくるリーダーに二人は苦笑する。彼女達は二人にしか分からない内容を眼と眼で交わし合うと、千枝が先ず口を開いた。
「今日は具合悪くて休みだって。…花村、すごく不安定だったよ。体に心が付いていかないって。今までずっと、無理してたんだと思う。あいつ、本当に辛い時は絶対に言わないから」
昨晩、陽介が全身で自分を拒んでいることを察した孝介は、無理に追うことはせず代わりに千枝にそれとなく話を聞くよう頼んだのだ。彼女はきちんと依頼を遂行してくれたらしい。
生まれ持った性別を周りの記憶ごと擦り返られる痛みを味わっているのは陽介だけで、自分達はどれだけ彼――今は彼女だが――を心配しても、痛みを想像して案じることしかできない。彼女の苦しみは彼女にしか分からない。それでも、酷く辛いものだというのは想像に難くない。大丈夫だと健気に笑うその笑顔の下で、どれだけの涙を流していたのだろう。
雪子が後を継ぐようにして言う。
「ねぇ月森くん。花村くん最近、すごく綺麗になったよね。月森くんの、ためなんだよ。月森くんが花村くんを守ろうとして色々してるのは知ってるし、大切にしてるのも十分伝わってくるけど、大事にしてあげて。今よりも、もっともっと」
「…ああ」
言われなくても、と言外に付け足すと、雪子は見通したように笑う。
「おせっかいでごめんね。でも、女は女の子の味方なの」
横で千枝も同じように口の端を上げていた。女性はとても強くてしなやかな生き物だ。孝介は降参とばかりに肩を竦める。
「二人とも、ありがとう。陽介とちゃんと話してみる」
「うん。あ、今日は帰りに女子だけで花村くん家に寄るから、月森くんは来ないでね」
笑顔で釘を刺され、孝介は苦笑しながら頷いた。歯痒いが、ここは雪子達に任せるべきなのだろう。
早朝のまだぬくまっていない空気が肌を刺し、寒さも限界だった一同は校内へと戻り始める。吹き荒ぶ風は嵐の予感を孕んでいた。




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