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ことばにまつわるショート2本です。
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「オレ、陽介から、チョコ貰ってないんだけど」
彼の目は真剣だった。気圧され、陽介は早口で答える。
「や、だって俺、男だし。なんかキモいだろ、バレンタインに男から男にチョコやんのって」
本当のことを言えば、孝介にチョコレートを渡すかどうか悩んだのだ。自分達は既に恋人同士で、今更気持ちを確認する必要がなくても、改めて彼が好きだと伝えたい。本当はいつだって叫びたいくらい好きなのに、世間体や羞恥ばかりが先立ってしまう陽介は、なかなか口にすることができなかった。陽介に代わるように、孝介は二人きりになると、安売りにならない程度に、けれども惜しみなく言葉をくれる。陽介も触れあうことで伝えているつもりだが、いつも孝介にばかり言わせるのではなく、自分からも伝えなくてはいけないと思っていた。上手く声にならないのならば、せめてチョコレートを、と考えたのだが、催事場に押し掛ける女性の群れに交じってチョコレートを買う勇気はなく、ずるずると引き延ばしているうちに今日という日を迎えてしまった。陽介の心情を露知らず、孝介は堂々と言い張る。
「オレと完二はあげただろ。全然きもくない、寧ろオレ達は付き合ってるんだから、こういうイベントには積極的に参加するべきだと思う。という訳で、頂戴」
ずい、と孝介が身を乗り出す。押されて陽介は一歩退いた。彼は本気だ。
「わ、悪かったって!でも俺、マジで何も用意してねーんだわ。明日じゃダメか?」
「だめ。今日、今、このタイミングで欲しい」
子供のように我儘を言う孝介は珍しい。彼が望むならできる限りのことは叶えてやりたいが、ない袖は振れない。謝りながら期限延長を懇願する陽介に、孝介は駄目の一転張りだった。
「だから、ごめんって!じゃあ今からジュネス行って買って来っから、ちょっと待ってろ。な?」
陽介は脱いだばかりの外着に着替えるため、踵を返して二階に上がろうとしたが、伸びて来た腕に手首を掴まれ動きを止めた。孝介は焦れたように頭を振る。その表情にはもどかしさと苛立ちが見て取れた。
「違う、そうじゃなくて」
「じゃあ何なんだよ」
チョコレートが用意できなかったことに負い目のある陽介としては、別に今からジュネスに行くのでも構わなかった。それで孝介の気が晴れるのならば、例え風呂上りの湯冷めしやすい体に二月の寒風が吹き付けようとも、喜んで片道二十分の道程を歩くつもりだ。だが孝介はそれは求めてはいないという。彼の意図が汲み取れず困惑する陽介の頭に、苦労して持ち帰ったチョコレートの山が思い浮かぶ。気が付けば陽介は口にしていた。
「なぁ、あんなにチョコいっぱいあんだし、俺からあえてチョコレートやんなくて――」
「…それ、本気で言ってる?」
孝介の声のトーンが低くなり、陽介は地雷を踏んだことを悟った。恐る恐る顔を見れば、彼は怖いほど無表情だった。銀灰色の瞳に射抜かれ陽介は言葉を失う。
「オレは、お前から、チョコが欲しかったんだよ。他の人からじゃ意味がない、陽介のじゃないとだめなんだ。…陽介はそこまで鈍くないと思ってた」
勝手だ、と思った。孝介が陽介にくれたチョコレートは他の特別捜査隊の皆に贈ったものと差異はなく、言うなれば友チョコや義理チョコの類である。チョコレートフォンデュをご馳走にはなったが、あれは菜々子のご相伴に預かっただけで、陽介のためのものではない。孝介とて「特別」なチョコレートをくれてはいない。二人の関係は、肉体的には陽介が女役になっているが、心まで女になったつもりはない。対等ではないこと、一方的に守られること、意志を問わずに決めつけられることが、何よりも陽介を傷付ける。
それでも、彼の言葉に感じる責めの色に、陽介の体は冷えてゆく。孝介を悲しませ、怒らせた。落胆させた。そうさせた自分が嫌だった。陽介はきつく手を握り締め、俯くことしかできなかった。
「陽介、はい」
視界の端に、綺麗にラッピングされた小さな箱が入ってくる。ジュネスでは見たことのない包装だ。孝介は陽介の手に箱を握らせて、静かな声で言った。
「オレの気持ち。陽介だけにあげる」
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