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愚者は吊り橋の上に立つ・3

お久しぶりの更新です~ 夜中に本気で追いかけっこする二人が書けたので満足です☆
次回は妄想しすぎてもう十分書いた気になっていた初えちーです。長かった…!

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 鐘が鳴り、今日も一日が終わる。
 担任の退出と共に生徒達は一斉に動き始め、教室にはざわめきが満ちる。約束でもあるのだろうか、荷物をまとめてそそくさと帰る者、友人の席に寄ってゆく者、携帯電話を開いて忙しなく指を動かす者――この光景は都会の学校も田舎の学校も変わらない。そして、昨日も今日も変わらない。明日も、それ以降もずっと変わらないだろう。学校とはそういう空間だ。
 いつもと変わらぬ級友達の様子を一瞥した陽介は、宿題の出た科目の教科書とノートだけを鞄に詰める。お気に入りのオレンジの鞄の蓋を閉めた所で、タイミングを見計らっていたかのように孝介が振り向いた。
「陽介。もう行ける?」
「おう!」
今日は二人で沖奈に行く約束をしているのだ。千枝と雪子に挨拶をして席を立った二人だったが、教室の後ろで立ち話をしている女子の会話に陽介は眉を潜める。
「なんかさ、中央高校の学食で食中毒?あったみたい。明日中央高校の子と遊びに行く約束してたんだけど、急にキャンセルになっちゃった」
「えー、コワイね。もう寒いのに食中毒とかあるんだ」
(食中毒は梅雨時だけじゃないんですよ!だからいつでも手洗い消毒と加熱殺菌を徹底してるんだっつーの)
 ジュネスのアルバイトで食品を扱う部署に入る時は徹底してやらされていることを心の中で言った後、陽介はあまり気付きたくないことに気付いた。
 中央高校は、八十稲羽に二つあるうちのもうひとつの高校だ。沖奈あたりの私立高校に通う者以外は、大抵の高校生が八十神高校か中央高校のどちらかに通っている。そして、ジュネスのアルバイトにも中央高校の学生が大勢いる。
(これは…もしかすると…)
 その瞬間、ポケットの中でマナーモードにした携帯電話が震え出す。このパターンは着信だ。陽介は横を歩く孝介に断ってから、携帯電話を取り出した。案の定、着信元はジュネスだった。掌の上に携帯電話を乗せたまま、なかなかフリップを開こうとしない陽介に、孝介が怪訝そうな顔で「出なよ」と促す。陽介はしぶしぶフリップを開き、通話ボタンを押した。
「…もしもし、花村です」
『陽介くん?!おつかれさまです、酒井です。今大丈夫?』
 受話器の向こうから聞こえてきたのは、いつも世話になっている社員の声だった。繋がったことで安堵が混じった彼の声とは反対に、陽介は泣きそうになりながら返事をする。
「ハイ、ちょっとだけなら」
『申し訳ないんだけど、今日これからヘルプ入れないかな?実は今日、中央高校で食中毒があって、バイトの子がかなり休んじゃったんだよね。もうどこの売り場も人が足りなくて。特に今日は食品でセールやってるのにどうしようって感じだよ。何もこんな日に食中毒なんて起こさなくていいのに!』
「あー…今日は、その」
不安は見事に的中してしまった。陽介は口籠りながら、ちらりと隣に立つ男を見る。
 今日はセールのため、平日ながらかなりの客の入りが予想される日で、ラインを通常よりも数本増やしている。そんな中で夕方以降の主戦力とも言える学生アルバイトが来られないというのはかなりの痛手だ。一人でも多く人手が欲しいのはよく分かる。できればヘルプに入ってやりたいが、しかし今日は孝介との先約があるのだ。心を鬼にして断ろうとした陽介の心を察したのか、酒井が悲壮な声を出す。
『陽介くん、お願い!君に頼りすぎだとは思うんだけど、やっぱり君がいるのといないのじゃ大違いなんだ!』
「う…ご、5分後にまた、掛け直します」
 陽介は通話を終えると、はぁ、と溜息を吐いてから孝介を見た。今の会話が聞こえていたのだろう、自分よりも少し上にある銀灰の瞳は複雑な色を湛えている。陽介は心底申し訳なくなり、がばりと頭を下げた。
「…ごめん!買い物、明日とかじゃダメか?!」
孝介は困ったような微笑を浮かべながら言う。
「いいよ。別にどうしても今日じゃなきゃいけないって訳じゃないし。オレが、お前と、出かけたかっただけだから」
「ごめん…」
 伝わってくる落胆に、陽介の胸は罪悪感と自己嫌悪で酷く重くなる。自分だって彼と共に過ごしたかった。どんな肩書が付こうと、彼の傍に在りたいと願ったのは、笑っていて欲しいと願ったのは本心なのだから。そんな彼の顔を今、自分が曇らせている。陽介は益々申し訳なくなって片手で顔を覆った。
「ほんと、ごめん」
「いいって。そんな状態で遊びに行っても、今度はジュネスの方が気になってつまらないだろ?また今度、埋め合わせしてくれればいいから」
「ん…ごめんな」
 孝介はよしよし、とその指の長い骨ばった手で陽介の頭を撫でる。彼に撫でられるのは好きだ。心地よさに思わず目を閉じかけた陽介だったが、ここが学校であることを思い出し、慌てて髪を梳く手を退かす。
「孝介!ここ学校だから!」
「いいじゃないか、別に。…オレも今日、病院のバイト入れるから。終わったらちょっとだけ、会いに行っていい?」
柔らかく微笑まれながら尋ねられ、陽介は一も二もなく頷いた。孝介は満足そうに笑みを深める。彼は退かされた手をごく自然に陽介の腰に回すと、エスコートするかのように歩き出した。彼の意図が掴めないまま、それでも陽介はされるがままに、階段の裏、清掃用具が置かれている場所へ連れ込まれる。放課後のざわめきが少しだけ遠くなった。
 とん、と昇降口からは視覚になる壁に軽く押し付けられたかと思うと、次の瞬間、眼前には孝介の整った顔があった。
「こ…」
「埋め合わせの前払い、ちょうだい」
瞳を閉じるのを待たずに、孝介は覆い被さって唇を重ね合わせてくる。侵入してきたぬるりとした舌に歯列をなぞられ、陽介はぴくりと体を震わせた。まだ慣れるほどキスはしていない。ましてや、舌を入れるような深いものなど。どうしていいか分からずに視線を彷徨わせていると、すぐ近くにある孝介の睫毛が長くて量があることに気付いた。彼の顔や体のパーツひとつひとつはとても繊細で、けれども女性的という訳ではなく、男らしさを持っている。要は色男なのだ。
(ちくしょう、格好いいんだよ)
 そんな彼が夢中になって自分を貪っている。体を熱くするのは羞恥か、陶酔か、快楽か。分からないが居た堪れなくなり陽介はきつく眼を閉じた。視覚を遮断したことで、それ以外の感覚が敏感になる。ざらつく舌の感触に腰が疼き出す。ちゅくちゅくという卑猥な水音、互いの荒い息使いがやけに大きく感じる。何より、制服越しの孝介の体は、頬に添えられた彼の手はとても熱かった。
「ふっ…は、あ」
「きもちいい?」
孝介は格度を変え、飽きることなく陽介の咥内を蹂躙する。どこで覚えてきたのか、孝介はキスが上手い。然程経験のない陽介は翻弄されるばかりだ。頭の芯が次第にぼうっとしてきて、陽介は崩れ落ちそうになる体を支えるために、目の前の男の服を掴んだ。孝介が笑った気配がした。
 「…!」
昇降口から弾けるような少女達の笑い声が聞こえ、陽介はここがどこだかを思い出す。縋るように彼のシャツを掴んでいた手を開き、見た目よりずっと逞しい胸を押し返そうとするが、キスで溶かされてしまった体には力がろくにはいらない。孝介は笑って、もう一度陽介の唇を奪う。
「ん…っ!こ、すけ」
「大丈夫、人が来たら気配で分かる。テレビの中で鍛えたおかげだな。だからもうちょっと」
口付けが深く、激しくなり、どうしていいか分からなくて彷徨った陽介の指に孝介の長い指が絡んだ。きゅうと握られると胸が甘く切なく疼く。体が熱い。流されていると自覚があるのに、繋いだ手を放したくないと思ってしまう。
「陽介。すきだよ」
 常よりも幼い子供のような口調で囁かれ、そっと唇が離れた。口の端から飲み込み切れない唾液を垂らし、はぁはぁと荒い息を吐きながら、陽介はくったりと相棒の胸に体を預ける。
「おま…こんな、トコ、で…」
 巧みすぎるキスに、陽介のものは既に形を変えつつあった。目立つほどではないが、学校でこんな状態になってしまったのがたまらなく恥ずかしく、居た堪れない。恨めしげに孝介を睨むと、ついさっきまでの情欲はどこへやら、いつもの涼しい顔で彼は笑って「勃っちゃった?」と言った。周りの者は彼に夢を見ている部分があるが、月森孝介は年相応かそれ以上に性欲があって、猥談も好きだ。陽介は顔を真っ赤にしながら自棄になって叫ぶ。
「悪いかよ!だ、だってお前が、あんな、その」
「うん、ごめん。だって夜まで待てないんだもん。…オレもだよ」
擦り付けられた下肢は硬い。びくり、と体を震わせた陽介の髪を安心させるように撫で、孝介は時間を促した。
「陽介、5分経った」
「あ!」
 慌てて陽介をする陽介を、孝介は奥に熱を秘めたやさしい瞳で見つめている。その眼差しを受け止めきれず、陽介は少しだけ視線を反らした。




**********




 予想以上にハードな勤務を終え、陽介は従業員出入り口からジュネスを出た。辺りはすでに漆黒の帳が下り、晩秋ゆえか虫の音も少ない。静かな夜だ。
「疲れた…」
はぁ、と溜息を吐いて、陽介はポケットから携帯電話を取り出す。孝介からの連絡はまだない。どうやら自分の方が早く終わったようだ。陽介は今から向かう旨を告げるメールを打ち、ぴうと吹いた寒風に身を竦めつつ歩き出した。疲労で体は重く、寒さが身に染みるが、彼に会えると思うだけで心が弾む。まるで恋をしている乙女のように。
(オレ、やっぱ、あいつのこと…好き、なんだよな。んで、あいつも俺のことが…)
 つまりは両想い、だ。陽介は思わず口元を押さえ、のたうち回りたい衝動を必死に堪える。稲羽が人口の少ない町でよかったと感謝したのは今くらいだろう。道の真中で身悶える怪しい姿を誰にも目撃されずに済んだのだから。
 想いのベクトルが互いを向いている今、後は陽介が手を伸ばすだけで関係は成立する。けれども、陽介は手を伸ばすことを躊躇してしまう。自分達は男同士だ。今はよくても、いつか必ず現実に打ちのめされ、冷静になってしまう時がくる。自分は彼の傍にいられるのならば何だって構わないが、彼の未来に陰りを作りたくない。一番大切な存在だから、誰よりも幸せになって欲しいのだ。そして彼を幸せにするには、きっと自分では力不足だ。それに、もしこの熱が一時のものだとしたら。やわらかくもない、可愛らしくもない、彼にとって有益な要素がある訳でもない自分に幻滅し、孝介が離れていってしまったら――その恐れが陽介を動けなくさせていた。
 傷付けたくないのも、本当。傷付きたくないのも、本当。彼から離れる勇気も、壁を破る勇気もない自分の弱さに陽介は自嘲の笑みを浮かべる。
(これじゃまた、シャドウ、出ちゃうかも)
 そうこうしているうちに、稲羽市の社会インフラの一翼を担う稲羽市民病院の看板が視界に入る。今はとにかく孝介に会いたくて、陽介はアスファルトを踏み締める足に力を込めた。やけに大きな月が一人きりの道のりを煌々と照らした。
 ポケットの中で携帯電話が震える。いそいそとフリップを開けば孝介からのメールだった。
 『今終わった。夜間入口の外で待ってて』
 「了解、おつかれさん…っと」
手早く返事を返して陽介は歩調を速める。真っ暗な正面玄関から左手に周り、救急車や緊急の患者のために明かりの灯された夜間入口から少し離れた所で足を止め、彼は相棒が出てくるのを待った。
 (何、話そうかな)
明日も学校があるため、そう長い時間はいられない。毎日顔を合わせているし、メールも電話もしているのに、それでもこの時間に外で彼と会うのは新鮮な気分だった。浮足立つ心を宥めるために手持無沙汰に携帯電話を弄っていると、自動ドアからひとつの影が出てくる。自分が見間違えるはずのないシルバーグレー、孝介だ。
 駆け寄ろうとした陽介は、しかし彼を追ってもうひとつ影が出てきたことで足を止める。夜目にも目立つ薄いピンクの白衣に紺色のカーディガンを纏ったナース、しかも遠目でも分かるほどなかなかの蠱惑的な美人だ。彼女は孝介を呼び止め、親しげな様子で話を始めた。こちらに背を向けているため分からないが、孝介もまんざらではなさそうに相槌を打っている。陽介は胸の中にしこりが生まれたのを感じた。
(んだよ、これ…)
 会話は聞こえない。憮然とする陽介が見ていることも知らず、ナースは嫣然と微笑み、そのほっそりとした腕を孝介の首に絡めた。彼女の体が孝介の影に完全に入る。抱き付いたのだろ。そして彼女に引かれるまま、孝介は首を少し曲げ――キスをした、ように見えた。
「!!?」
 一組の男女は数秒間密着した後、どちらからともなく体を離す。孝介がナースに何かを言っていたが、陽介は既に二人の様子を観察することなどできなかった。衝動に突き動かされるまま踵を返したが、しかし足元にあった枯れ枝を踏んでしまい、ぱきり、と干からびた命が折れる音がやけに大きく響いた。孝介が弾かれたように振り返る。視線が、合う。
「…陽介?」
「…!」
 陽介は脱兎の勢いで走り出した。もう何も考えられない。とにかくあの場所から、孝介から離れたかった。先程まであれだけ会いたかったのに、今は彼の顔など見たくもない。声も聞きたくない。
(っ、なんで…!)
 自分を好きだと言っておきながら、触れておきながら、彼は他の女ともキスをするのだ。頭の中でもう一人の自分が、見間違えだと、偶然かもしれないと必死に孝介を信じる言葉を紡ぐ。けれども、あの光景が目に焼き付いて離れない。彼を信じ切ることができない。陽介は自分のいるべき場所にいた、名前も知らない女性に激しい嫌悪と憎悪を抱いた。そんな自分が酷く惨めで、汚らしくて嫌だった。
 「――陽介!待ってくれ!」
背後から名を呼ばれ、反射的に振り向きそうになったが、陽介は返事の代わりに速度を上げる。彼の性格上、あんな別れ方をしたら追ってくるのは分かっていた。今はその律儀さが鬱陶しくてたまらない。素早さならば陽介の方が僅かに上だ。俊足を生かして一気に撒いてしまおうとした陽介だったが、今度はすぐ後ろから声がして、驚きのあまり思わず振り返ってしまった。そして、更に驚いた。
「ひっ…!」
 腕を伸ばせば捕まえられそうなほどの距離にいた孝介は、幼子ならば泣き出すほど恐ろしい形相をしていた。怒っているのか、必死なのか、その両方なのかは分からない。歪んでいる訳でも、狂気に満ちている訳でもない。けれども陽介すら思わず怯えるほどその眼光は鋭かった。銀糸の髪が月明かりに照らされ冴え冴えと光っている。陽介の体は本能的に逃げに入った。
「く、来んなよっ!」
「止まってくれ!いきなり逃げるな、お前絶対誤解してるぞ!」
今まで向けられたことのないような明らかに怒気を孕んだ声に、陽介の怯えは更に高まった。後ろにいるのは鬼だ。掴まったらどんな目に遭わされるか分からない。陽介は体育の時間でも出したことのないほどの本気で走った。後ろからは荒い息遣いと、滅多にない舌打ちが聞こえる。
「陽介!止まれ!!」
「やだ!」
「じゃあ止まらなくていいからオレの話を聞け!」
「やだって言ってんだろ!今はお前の話なんか聞きたくないし、顔も見たくねーんだよっ。あっち行け、そして帰れ!二度と俺に話しかけんなッ」
 走っているためどうしても声は大きくなる。陽介はここが田舎で、周りにあまり民家がないことをまた感謝した。夜更けに怒鳴り合いながら町を駆け巡る姿を目撃されたら、どんな噂が立つか分かったものではない。
「お前、いい加減にしろよ…!」
孝介の声のトーンが低くなる。陽介の体に戦慄がはしった。これがテレビの中だったら、確実にペルソナの力でダウンさせられていただろう。ここがテレビの外で良かったと陽介は心底思った。
 アルバイトの疲労が残った状態で精神的なショックを受けた上の全力疾走に、体が悲鳴を上げている。肺が少しでも多く酸素を取り込もうと忙しなく上下し、口の中はマラソンの後のような不快な味がした。脇腹が痛い。足も重い。けれども足を止めたら食われる気がして、陽介は己を叱咤し幾つ目かの角を曲がる。どこをどう走ってきたのか記憶にないが、いつの間にか鮫川まで来ていたようで、目の前が急に開けた。
 遮蔽物のない河川敷は見通しが良すぎる。すぐ後ろには孝介がいて、僅かにリードを保っているが、彼がどんな手を使ってくるか分からない。瞬きひとつの間に陽介は覚悟を決め、枯草の生えた土手を靴が汚れるのも構わず一気に駆け降りる。河原には腰丈の草が生えている。そこに紛れれば孝介を巻くことができるだろう。
(つか俺、なんで相棒相手に必死に逃げてんの)
テレビの中でもここまで緊迫した逃走劇はなかったように思える。河原に下り立った陽介は、すぐさま橋の下に逃げ込もうと足を踏み出した。しかし何かに足を引っ張られ無様に転倒する。一瞬、孝介に足を掴まれたのかと思ったが、見れば解けていた靴紐を自分の足で踏んでいた。痛みと情けなさに半泣きで身を起こした陽介の視界が陰る。そこには落ちてきそうなほど大きな月を背景に、あの日初めてペルソナを呼び出した時と同じ、悪役そのものの顔で泰然と微笑む孝介が立っていた。ゲームオーバーだ。

 「つ か ま え た」

 彼の言葉が蛇のように自分に絡み付く。睨まれた蛙のように動けなくなった陽介を、あろうことが孝介はその場に押し倒した。冷たい土とごつごつした岩の感触に陽介は悲鳴を上げる。
「ひっ…!やめ、放」
「ねぇ、何で逃げたの?」
暴れる陽介の四肢をいとも容易く抑え込み、孝介は静かに問う。逃げを許さない銀灰の瞳で見据えられ、陽介は口籠った。何故、と聞かれても、自分でもよく分からない。ただあの場所にいたくなかったのだ。
 ぎり、と掴まれた腕に力が籠る。孝介は本気だ。陽介はしぶしぶと、思ったことをそのまま口に出した。
「おっ、俺も分かんねーよ!ただ、あれ以上あそこにいたくなかったんだよッ」
「どうして?オレと約束してただろ?」
「だって!お前、あの人と…!」
 キス、の一言が言えなくて陽介は口籠る。孝介は深々と溜息を吐くと、泳ぐ陽介の視線をしっかりと捕えて言った。
「キスなんて、してないよ。陽介の位置からはそう見えたかもしれないけど、誓ってしてない。あの人、小夜子さんは悪戯好きだから、好きな子が待ってるって言ったらからかわれたんだよ」
「嘘だ!」
「本当だよ」
「嘘だよ!やっぱお前、俺が好きっていうのは気の迷いなんだよ!吊り橋理論!俺なんかより、男なんかより、お前にふさわしい子、いっぱ…」
 陽介は最後まで言うことができなかった。だん!と孝介が顔のすぐ横に握り拳を打ち付けたからだ。言葉を失った陽介は恐る恐る孝介の顔を見た。彼の表情は能面のように冷たかった。
「……オレが、不安にさせたの?そんなにオレが信用できない?」
「………分かん、ない。もう、全然、分かんねぇ、よ」
 卑怯だとは思いつつ、陽介は溢れ出した涙を止めることができなかった。流れる雫と共に、渦巻く感情が口を吐いて出てきてしまう。
「お前、人気者、だし。でも俺、あたまわるいし、かわいくねーし、やわらかくも、ないし、そもそも男、だし。釣り合わないって、お前をダメにしちまうって、でも、それでもやっぱ好きだし!なんで、俺がいるのに、他の奴とキスなんてすんだよ!もぉヤダ、くるしい、俺ばっかお前にぐるぐるさせられてる!」
言い切った陽介は、はぁはぁと荒い息を吐きながら孝介を睨んだ。完璧に逆光となった彼の表情はよく分からないが、先程とは纏う空気が違う。失望させた――そう理解して陽介の眦に浮かんだ新たな涙を、しかし孝介はやさしく拭った。
 「…つまり、陽介は、オレのことが好きで、嫉妬してくれたんだ」
「!!?ち、ちげーよ!」
孝介は強かな笑みを浮かべて言う。
「今、自分で言っただろ。好きだって。オレ達、とうとう両想いだな」
「違うし!聞けよ人の話!」
「ちゃんと聞いたよ。だって陽介、嫌だって思ったんだろ?オレが自分以外の誰かとキスするの」
「う…」
甘い声で囁かれ、陽介は言葉に詰まる。こんな時ばかり素直な自分の性格が恨めしかった。孝介は花も恥じらうようなうつくしい笑顔を見せる。
「ねぇ陽介、お前がちゃんと信じてくれるまで何度だって言うよ。オレはお前が好き。大好き。あいしてる。オレが触りたいのも、キスしたいのも、それ以上のことをしたいのも陽介だけ。男同士とか、周りの目とかも関係ない。オレはお前が欲しい、お前の一番近くにいたい」
 何度も何度も言われた愛の言葉。自分が傷付かないように幾重にも張ったフィルタをすり抜け、少しずつ少しずつ陽介の心に蓄積されてゆく。彼の想いで満たされれば、もう恐れなくてもいいのだろうか。手を伸ばしてもいいのだろうか。臆病な陽介の葛藤ごと包み込むように、孝介は言葉を、時にはキスを、髪を撫でたり抱き締めたりしてくれる。
 唇が降りてくるのを陽介は避けなかった。目を閉じて力を抜き、彼のキスを受け入れる。触れるだけのやさしい口付け繰り返し、その合間に孝介は言う。
「すき」
「だいすき」
 紡がれる度に心が震え、体が熱くなる。後から後から思いが沸き起こり、ちっぽけな体の中には納まり切れずに溢れ出してしまいそうだ。感情の渦に押し流されそうになり、陽介は縋るように孝介の首に腕を回した。いつの間にか拘束は解かれていた。
「こう、すけ」
「陽介。オレのこと、好きになってくれた?」
確信を持って聞いてくる目の前の男は本当にずるい。泣き落しのような形で自分に告白を受け入れさせた、あの弱気な孝介はどこへ行ってしまったのだろう。顔を振って涙を払い、陽介は本当にちいさな声で告白をした。

 「――すき、だ」

 孝介は安堵と充足に満ちた顔で微笑んだ。今自分達は、共に吊り橋の上から落ちることを選んでしまったのだ。
 その力強い腕に引かれて体を起こされ、きつくきつく抱き締められる。肩口に当たる熱い吐息に陽介は泣きそうになった。触れ合った肌から伝わる温もりが心地よい。離れたくないと、心底そう思った。
「ありがとう、陽介」
「…何で、お礼なんか言われるワケ」
 まだ感情の整理がし切れず憮然とした声で尋ねる陽介に、孝介は蕩けそうなほど甘く言う。
「だって、言いたいんだ。オレを受け入れてくれて、オレを好きになってくれてありがとうって。恋した相手に想い返されるなんて、奇跡みたいなものだろ?手に入らないって、拒まれても仕方がないって思ってたのに、陽介は他を選ばないでオレの所に来てくれた。嬉しくてたまらないんだ」
「お前、大袈裟すぎ」
 溜息を吐くと、それを塞ぐように唇が重ね合わされる。ぴったりと抱き合ったまま、二人は長い長いキスをした。舌を絡め、唾液が混じり、ひとつに溶けてしまいそうな濃厚なキス。白い糸を引かせながら顔を離した時には、陽介は息も絶え絶えになり、支えられなければ上半身を起こしていることもできなかった。
「陽介、キス、好きだよね」
「んっ…」
 大きな手で脇腹を撫で上げられ、陽介は息を詰まらせる。キスは体を敏感にさせる効果があるのだろうか、孝介に触られる度に勝手に体が跳ねるのだ。
「敏感。早く食べたい」
孝介の手がゆっくりと下へ降りてくる。鎖骨、乳首、腹、そして足の付け根の際どい部分。キスだけで感じてしまい、ジーンズを窮屈そうに押し上げている自身を握られ、陽介は思わず悲鳴を上げた。
「ふあっ!」
「そんな声出して…これ以上煽ってどうするの」
 ぐり、と同じように猛っている孝介のものを押し付けられ、ぞくり、と背筋を覚えのある感覚が駆け上がる。テレビの中で二人でした行為の快感を思い出し、陽介は腰を震わせた。孝介は困ったように笑う。
「流石にここじゃ、ね。寒いし、何も準備できてないし」
残念そうに彼は体を放し、立ち上がる。陽介を起こして背中や髪についた汚れを叩き落としてやりながら、孝介は聞き惚れるほど綺麗な声で言った。

 「陽介。土曜日、うちに泊まりにきなさい。――お前を、抱くから」




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