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Binary Star, Binary Black Hole・2

※パラレル注意
事件のはじまり。陽介のニートっぷりをお楽しみください(笑
コンピュータ関連のことはこりゃないわ!と分かりつつも書いてます…私のお脳ではこの辺りが限界なので、どうか勘弁してやってください(>_<)うん、きっと2030年くらいになればIPv8とか出るんじゃね?みたいな(適当すぎる)

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 「ん…」
急激な覚醒ではなく、緩慢に意識が浮上する感覚。肌触りのよいシーツには自分のものだけではない人間の匂い。一番安心できる香りだ。もう十分な睡眠を取ったとばかりに疼く体に急き立てられ、陽介は上半身を起こして大きく伸びをしてた。頭がすぅと冴えてゆく。寝起きはいい方だ。
 枕元に置かれた時計は既に18時近くを指している。カーテンの隙間から差し込む光はオレンジ色で、そう言えばもう半日以上何も口にしていない。くぅと腹が情けない音を立てて鳴いた。自覚した途端に激しい喉の渇きと空腹を覚え、陽介は自らの体温で暖まったベッドから出る。裸足にフローリングの床は冷たかったが、階下はそんなことが気にならないほど暖かいはずだ。
 「――おはよう、陽介」
階段を下り、リビングダイニングに足を踏み入れると、シチューのいい匂いが鼻腔を擽った。孝介はやけにフリルの多いエプロンを隙なく着こなし、無駄のない動作で食事の支度に勤しんでいる。空調が効いているというのもあるが、明るく、人のいる部屋はそれだけで暖かい。孝介の整った眉が陽介の足を見て潜められた。
「靴下かスリッパ、履けっていつも言ってるだろ」
「へいへい」
促され、陽介はソファの横に揃えて置いてあった、犬のぬいぐるみと見紛うばかりのもこもこしたスリッパに素足を突っ込む。孝介の身に付けているエプロンも、このスリッパも、陽介の幼馴染であり孝介の後輩でもある完二が作成したものだ。実家の染物屋を継ぎつつも洋裁が大好きな彼は、創作意欲を弾けさせてはその産物をこの家に置いてゆく。最近はあみぐるみに凝っているようで、もう暫くしたらこの家の至る所にあみぐるみを飾る羽目になるだろう。その光景が簡単に想像できて陽介は苦笑した。
「陽介、皿出してくれ」
「おー」
陽介はいそいそと棚から深めの皿を二枚取り出し、カウンターの上に置いた。やわらかく微笑む孝介に頬が少し熱くなる。見慣れたはずの笑顔だが、格好いいものは格好いいのだ。
 カウンター前に置かれたスツールに腰掛け、陽介は孝介が魔法のように料理を仕上げてゆくのを眺めた。ほぼ完璧に左右対称の整った顔、ぴんと伸びた背中、均整の取れた肢体、長くて形のよい指――彼の外見を現す際には褒め言葉しか出てこない。加えて頭も性格もよく、声までよく、手先が器用で何でもできる彼は自分の恋人なのだ。彼を独占していることに罪悪感を感じると同時に、どうしようもない安堵と優越感が沸き起こり、陽介はカウンターに突っ伏した。
(俺が、こいつを、縛りつけてるんだ)
 都内の閑静な住宅地にある、事務所を兼ねた戸建の自宅。外界からの視線を遮断するかのように植木に囲まれたそれなりに広い庭と、沢山の日の光が入る6LDKSの家が、陽介の世界の全てだった。身体機能に欠陥がある訳ではない。五体満足で、自分でできないことなど何ひとつない。問題があるのは心だ。
 5年前――高校三年生の、卒業まで半年ほどになったあの日、陽介の人生は変わった。最愛の妹を失い、自身も心と体に消えない傷を負った。半年ほど入院し、ようやく自分の足で歩けるようになった時、陽介は外の世界を恐ろしいと感じるようになってしまった。心的外傷だ。体は至って健康なのに、外に出ようとすると体が拒絶反応を起こしてしまう。幾度か無理をして出ようとしたが、その度に過呼吸や錯乱で倒れてしまい、孝介と完二に泣きながらやめてくれと懇願された。今ではセキュリティをがちがちに固めた自宅から一歩も外に出ることができない。
 それでも生きていけるのは、インターネットの普及により殆どのサービスが在宅でも受けられるようになったのと、孝介がいてくれるおかげだ。孝介は高校を卒業すると同時に家を出てこの家に転がり込み、家事全般をこなしながら陽介の仕事を手伝っている。大学は飛び級を利用して早々に卒業した。彼は陽介の手足となり、時には目となってくれる。陽介は彼に取り付けたカメラを通じて、ゆっくりと、しかし確実に変わってゆく外の世界を見ていた。
 自分がいなければ、孝介はどこにだって行ける。自分が孝介と共に外の世界にいられたのは高校までだが、彼はどこにいても、誰にでも好かれ、何でもできた。今でも付き合いのある数少ない友人の話では、自分の元に留まり続けているのを様々な方面から惜しまれているらしい。早く彼を解放してやらなくてはならない、そう思うのに、彼はここに留まりたいのだと言って甘やかすから、手を離すことができない。愛と呼ぶには重すぎる依存だ。彼がいなければ息の吸い方すら分からなくなりそうな自分が嫌で、陽介はこっそりと溜息を吐いた。すると見計らったかのように大きな手が伸びてきて、くしゃり、と髪を掻き混ぜられる。顔を上げると銀灰の瞳が心配そうに揺れていた。
「調子悪いのか?」
「…んーん、腹、減り過ぎただけ。つか俺、顔も洗ってないわ」
 にこり、と微笑んでそれ以上の言及を封じ、陽介は洗面所に逃げ込む。適当に顔を洗って顔を上げれば、鏡に映った自分は決して健康とは言えない姿をしていた。顔立ちが母親に似て女性的なので、中学くらいまでは妹と並ぶと姉妹だと間違えられることもあったが、今の自分は柔らかさとは無縁の体系をしている。元々痩せ型だったが、最近は更に筋肉が衰え細くなってしまった。家から出ず、日がなパソコンにしか向っていなければ当たり前だろう。放っておけばろくに飲まず食わずの自分がまともに生きていられるのは、ひとえに面倒見のいい同居人のおかげだ。
(しっかり、しなきゃ)
ぱしん!と陽介は自分の頬を掌で挟む。ゴールは見えない。けれどもこの道を行くと決めたのは他ならぬ自分だ。孝介の人生までをも巻き込んでいるのだ、立ち止まる訳にはいかない。
 「……あと少し、あと少しだから。待っててくれよな」
鏡に映った己の顔に、陽介はそっと指を這わせる。あれほど妹と似ていたはずの自分の顔からは、今はもう彼女の面影すら見出せなかった。

 和やかに食事を取り、そろそろ皿が空になろうかという頃、インターフォンが鳴った。立ち上がろうとした陽介を目線で制し、孝介は立ち上がって壁に設置してある管理端末に触れる。小さな画面にはインターフォンに設置されたカメラの画像が映し出されており、そこには見知った顔があった。孝介の叔父、堂島だ。彼の後ろに別の人影が見えたが、目視でも、また、コンピュータが解析した個人情報からも招き入れて問題のない人物であることを確認し、孝介は家主に確認を取る。
「陽介、開けるぞ」
「どーぞ」
孝介がキーを操作すると、門扉のロックが解除された。傍から見ればボタンを押しただけだが、この家の管理システムはバイオメトリクス認証を使用しており、予め網膜パターンと指紋を登録してある者以外が操作を行っても何も起こらない。内側からアンロックをできるのは家主である陽介と孝介、後は完二だけだ。セキュリティも万全で、家の周りはセンサーが張り巡らされ、監視カメラがいくつも設置されており、正式な手順を踏まずに侵入しようものなら即座に警備会社が駆け付けてくる。ホームネットワークは陽介が組んだ防御プログラムによって十重二十重に守られており、下手をすると警視庁よりも強固かもしれない。
 物理面でも、仮想面でも、この家は強固に守られている。それでも安全とは言い切れないことを陽介も孝介も重々承知していた。日本は今も昔も諸外国に比べれば遙かに平和だ。ただ、自分達が対峙している相手が規格外なのだ。もし奴が本気になれば、この家のセキュリティなど簡単に、とはいかないまでも突破されてしまうだろう。家の外に出ることができない。逃げ場のない陽介は、自らの城の守りを出来得る限り高めるしかなかった。
 玄関まで迎えに出た孝介に連れられ、リビングに三つの影が入ってくる。口の中に入っていたパンを飲み下し、陽介は彼らに晩の挨拶をした。
「こんばんは、堂島さん、足立さん、里中」
「おう、花村。夜分にすまんな。邪魔するぞ」
ソファに腰を下ろした彼らは、部屋に漂ういい匂いに鼻をひくひくさせる。
「おっ、いい匂いだねー。ビーフシチュー?」
「ええ。皆さん、夕食まだでしょう?いっぱい作ったんで、よければ食べて行きませんか」
孝介に威圧感のある笑顔を向けられ、足立はややたじろぎながらもこくこくと頷いた。その横では千枝が嬉しそうに顔を輝かせている。堂島が申し訳なさそうに首の後ろを掻いた。
「いつもすまんな、孝介。…花村、お前、また痩せたんじゃないのか?」
孝介によく似た、深い色を湛えた瞳で見据えられ、陽介は曖昧に微笑むことしかできなかった。
 堂島は警察だ。足立と千枝は堂島の部下で、彼らは警視庁に設けられたサイバーストーカー対策班に所属している。そして陽介はそのハッキングの腕を生かし、非公認CSC――サイバーストーカー・カウンターとして彼らの手助けをしていた。孝介はとびきり優秀な助手だ。
 CSCとは、近年急増するサイバーストーカーに対抗できるだけの知識と技術、そして正しい心を持っている者のことを指す。具体的にはサイバー空間でのつきまとい行為の撃退や、ネットワーク攻撃からのプロテクト、証拠となるログの取得や解析などを行い、被害者を守り、犯人を割り出して警察に突き出す、仮想空間でのボディーガードと探偵を足して二で割ったような仕事だ。
 CSCは国家資格だが、試験があまりにも難しく、また、ハッキング能力の高いものは日の目の当たる場所に出たがらない傾向があるため、公認CSCと呼ばれる資格保持者はほんの僅かしかいない。その誰もに依頼が殺到してしまい、解決を待つ間にも被害の数は増えてゆく一方だ。そのため大抵の被害者は警察に相談した後、協力者として非公認のCSCの紹介を受けるか、自分で探すかのどちらかだった。陽介は非公認ながらも今まで数々のサイバーストーカーを検挙しており、警視庁から熱烈なラヴ・コールを受けているが、応える気は全くない。陽介はあくまでも民間の側に在ることに拘り続けた。
 本音を言えば警察は好きではない。嫌いと言ってもいい。嫌々ながらも毎回協力をしているのは、相手が堂島だからだ。恋人の叔父だというのもあるが、信に足る人物であることをよく知っているし、陽介自身も随分と世話になった。だからできる限り手助けをしたいと思っているし、警察との繋がりを切りたくないという打算的な理由もある。目的のためなら手段を選んではいられないのだ。
 孝介が千枝に手伝ってもらいながら、リビングに三人分の食事を運んでくる。既にシチューに気が行ってしまっている足立の頭を叩き、堂島は対面に座った陽介に分厚い封筒を差し出した。
「最近のめぼしい情報だ。それで、今日寄らせてもらったのは、またオレ達の手には負えない厄介な奴が出て来たからなんだが…」
堂島がちらり、と千枝に目を向ける。視線の意味を察した彼女はローテーブルの上に湯気の立つ皿を置くと、ソファに腰掛け、陽介と視線を合わせて口を開いた。
「…今回の被害者、あたしの親友なの」
「…」
 千枝は彼女にしては珍しい、厳しい顔をしている。出会ってまだそれほどの月日は経っていないが、彼女のどんなときでも真っ直ぐで明るさを失わないところを陽介は好いていた。その彼女がこれほど深刻な顔をするということは、相手が余程性質の悪いサイバーストーカーなのか、親友が大切なのだろう。その両方なのかもしれない。陽介は無言で封筒から書類を取り出し、調書のコピーを眼前に翳す。紙資源の節約の意味もあり、今では殆ど電子データでやりとりをすることが多かったが、堂島は紙を好んだし、陽介も重要なことは紙面で見た方が頭に入りやすいのでありがたかった。
「おお、美人じゃん」
 クリップで付けられていた写真を見て、陽介は思わず呟いた。控え目な桃色の着物に身を包んだ若い女性は、年の頃は千枝と同じだろう。しかし闊達な彼女とは対照的に物静かな印象がある。艶やかな長い黒髪に切れ長の瞳は、現代では滅多にお目にかかれなくなった和風の美女だ。
「天城雪子。22歳。老舗旅館『天城屋』の女将の一人娘で、次期女将」
千枝が調書に書かれている内容をぽつぽつと述べてゆく。合わせて文字を目で追いながら、陽介は一つたりとも情報を逃さぬよう、頭の中に叩き込んでいった。
「ストーキングが始まったのはおよそ一ヶ月。国のデータベースに個人情報への不正アクセスが2回確認されています。情報漏洩の程度は不明。天城屋へのネットワーク攻撃は3回。いずれもネットワークを一時的にクローズドに移行することで被害はなし。「サイバーストーカー及びストーカーによる心身への脅威が認められる」内容のメールが延べ4657通、いずれも実在しないアドレスから送られてきました。そして、3日前には…リアル・ストーキングされています」
「開始から一ヶ月足らずでリアルか…進行が速いな」
軽く炙ったパンをテーブルの上に乗せた孝介が案じ顔で呟く。リアル・ストーキングとは、インターネット上のつきまとい行為が現実にまで及び、いよいよ身体の危険が迫ってきた状態を指す。大抵のサイバーストーカーはネットワーク上での迷惑行為しかしないが、リアル・ストーキングをしてくる者は本気で被害者を自分のものにしようとしているケースが多い。開始からリアルに至るまでの期間が短ければ短いほど、相手は短絡的で、被害者に肉体的な危害を加える可能性が高いということを、今までの経験から孝介達は知っていた。千枝の顔が泣きそうに歪んだ。
 陽介は、封筒の中に入っていた指先ほどの大きさのディスクを摘み、机の上に用意しておいたノートパソコンにセットする。アプリケーションを起動し、同時にセントラル管理システムを介して天井に取り付けてあるプロジェクタを動かして、リビングの白壁にディスクの中身を投影した。そこに映ったのは膨大な量の英数字の羅列、―トレースログだ。
「足立さん。何が、あったんですか」
陽介は夢中でシチューを書き込んでいる足立に視線を向けて問うた。足立は陽介よりも腕は劣るものの、腐っても公認CSCだ。大抵のことならば自分で解決できるはずである。その彼がわざわざログまで持ち込んでくるということは、それなりの理由があるはずだ。足立は困ったように首を傾げた後、空になった皿を卓上に置いた。
「トレースしたのは僕だよ。1回目と2回目の時は上手くいかなくて、3回目のネットワーク攻撃の時にようやくちゃんとしたのが取れたんだけど…途中で弾かれたんだ。19822行目、見て」
 指定された場所を見た途端、陽介の顔色が変わった。

IP : 999.999.999.999

 「………デルタ、ネット…」
乾いた声で呟く陽介に、足立が神妙な顔で頷いてみせる。
 デルタネット――ユビキタス社会が生み出した、魔の三角地帯。誰が、どこから、どのようにアクセスしているのか分からないが、類を見ないほど悪質で、並のハッカーでは太刀打ちできないネット犯罪が起きた際、アクセス元は必ずと言っていいほどここだった。予約されていない、そもそも使用できないはずのホストをどのようにして表示させているのかすら分からないが、デルタネットからのアクセスは常に悪意に満ちている。警察史上最悪と言われる、死傷者数百名を出した地下鉄の生命維持機能破壊事件のアクセス元もデルタネットだった。犯人は未だに捕まっていない。
 警察も、民間のハッカーも、多くの者がデルタネットの正体を明かそうとアクセスを試みたことがあるが、今まで成功した話は聞いたことがなく、逆に返り討ちに遭っている。自身の所属するネットワークを逆トレースされて破壊されるくらいならまだいい方で、個人情報を取得され、犯罪に使われてしまったケースもある。だから足立は深追いを止めたのだ。
 「陽介…」
孝介が心配そうに顔を覗き込んでくる。陽介はきゅ、と膝の上に置いた手を握ると、安心させるように孝介に微笑みかけた。顔を上げ、千枝に、堂島にヘーゼルの瞳を向けてきっぱりと言う。
「CSCとして、被害者の警護をお引き受けします。手続きはいつもの通りに」
「よろしく、お願します…!」
千枝ががばり、と頭を下げる。余程大切な親友なのだろう。その栗色の頭を、少しだけ表情を緩めた堂島が叩いてやっていた。
 「陽介、大丈夫なのか?」
「まだホントにデルタネットかって分からないし。俺の勘だと何か違う気がすんだけど…とにかく、調べてみりゃ分かることだろ。それにこの人を放っておく訳にもいかねーし」
滅多にある訳ではないが、ネット犯罪のアクセス元がデルタネットだった場合、現状では警視庁さえ泣き寝入りの状態である。サイバーストーキングの場合、被害者は犯人が興味を失うまで世の中から隠れるようにして暮さなければならない。それは数ヶ月後かもしれないし、数年後かもしれない。ただ無作為に選ばれただけの被害者にとっては余りにも酷だ。
(もう誰も、日向のようにはさせない。させちゃいけない)
 陽介はもう一度だけきつく掌を握った。堂島は甥とよく似た深い色の瞳を陽介に向ける。
「警察もできる限りフォローはする。既にリアル・ストーキングされてるからな、人手が必要だったら言ってくれ」
「はい。とりあえず、こっちで少しプロファイリングしてみますんで、書類お借りします。孝介」
陽介が顔を向けると、孝介は全て分かっているとばかりに頷く。
「完二に連絡しておく。プロファイリングは今晩中に。里中、明日にでも天城さんと会うことはできるか?」
「う、うん。ちょっと待って、連絡してみる」
携帯電話を取り出した千枝を視界の端に収めながら、陽介は何かが動き出したのを感じていた。




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